アリー・イブン=アビー=ターリブ
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 ・編・歴 
アリー・イブン・アビー・ターリブ(19世紀絵画) アンビグラム、右 ムハンマド、左 アリー アリーの廟、イラク, ナジャフ

アリー・イブン・アビー・ターリブ(???? ?? ??? ????‎ 'Al? ibn Ab? T?lib、600年頃 - 661年1月27日)は、イスラーム教の第4代正統カリフ(在位656年 - 661年)。同教シーア派の初代イマーム

預言者ムハンマドの父方の従弟で、母もムハンマドの父の従姉妹である。後にムハンマドの養子となり、ムハンマドの娘ファーティマを娶った。ムハンマドがイスラム教の布教を開始したとき、最初に入信した人々のひとり。直情の人で人望厚く、武勇に優れていたと言われる。早くからムハンマドの後継者と見做され、第3代正統カリフのウスマーンが暗殺された後、第4代カリフとなったが、対抗するムアーウィヤとの戦いに追われ、661年ハワーリジュ派によって暗殺される。

のちにアリーの支持派はシーア派となり、アリーはシーア派によって初代イマームとしてムハンマドに勝るとも劣らない尊崇を受けることとなった。アリーとファーティマの間の息子ハサンフサインはそれぞれ第2代、第3代のイマームとされている。また、彼らの子孫はファーティマを通じて預言者の血を引くことから、スンナ派にとってもサイイドとして尊崇されている。

アリーの墓廟はイラクナジャフにあり、カルバラーとともにシーア派の重要な聖地となっている。
目次

1 生涯

1.1 生い立ち

1.2 青年時代

1.3 ムハンマドの死と継承問題

1.4 正統カリフたちの時代

1.5 ウスマーンの死とアリーのカリフ就任

1.6 ムアーウィヤとの対立

1.7 ハワーリジュ派の登場

1.8 アリーの勢力の弱体化

1.9 アリーの最期


2 一族

3 シーア派の教義におけるアリー

4 スンナ派の教義におけるアリー

5 アリーをめぐる伝承と人物像

5.1 アリーとアーイシャ

5.2 恋愛・婚姻関係


6 その他

7 脚注

8 日本語訳

9 参考文献

10 関連項目

生涯
生い立ち

アリーは預言者ムハンマド同様、マッカ(メッカ)のクライシュ族ハーシム家に属す。祖父はムハンマドと同じくアブドゥル=ムッタリブで、父のアブー・ターリブはムハンマドの父アブドゥッラーの同母弟である。


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