アリゾナ・ダイヤモンドバックス
Arizona Diamondbacks
1998年創設
所属リーグ
ナショナルリーグ (1998年 - )
西地区 (1998年 - )
チーム名
アリゾナ・ダイヤモンドバックス (1998年 - )
本拠地
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}1998-現在
アリゾナ州フェニックス (1998年 - )
チェイス・フィールド (1998年 - )
バンクワン・ボールパーク (1998年 - 2005年)
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(1回)
2001
リーグ優勝(2回)
2001
2023
地区優勝(5回)
1999
2001
2002
2007
2011
ワイルドカード(2回)
2017
2023
球団組織
オーナーケン・ケンドリック
アリゾナ・ダイヤモンドバックス(英語: Arizona Diamondbacks、略称: ARI、ダ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はアリゾナ州フェニックスにあるチェイス・フィールド。
チーム名は、アリゾナ州一帯に生息するダイヤガラガラヘビ(背中に菱形の紋様を持つヘビ。ヒシモンガラガラヘビとも言われる)に由来している。野球のグラウンドであるダイヤモンドにも通じる命名である。チーム名が長いため“D-Backs”と略表記されることもある[1][注 1]。または単純にヘビ=Snakesという愛称も現地ではよく用いられる。
球団名が長いため、ユニフォームの胸部分に文字が入る際、愛称の"Diamondbacks"が一列に表記されたことがない。また、"Diamondbacks"がすべて表記されたのは初代のユニフォームのみであり、この時は"Diamond"と"Backs"の2段に分けて表記されていた。これ以降の胸文字はすべて"Arizona"か"D-Backs"と表記されている。
また、球団の愛称が「ダイヤモンドバックス (ヒシモンガラガラヘビ)」ながら球団のマスコットキャラクターは「バクスター・ザ・ボブキャット」"Baxter the Bobcat"(オオヤマネコ)と、動物の名前が球団名に入っていながらまったく別の生き物をモチーフとしたマスコットキャラクターを採用している珍しい球団である。
球団の歴史
1990年代シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
MLBのエクスパンション(英語版)(球団拡張)の一環として1998年創立。1年目は65勝97敗と大きく負け越すが、同年末にMLB屈指の左腕ランディ・ジョンソンの獲得に成功し、ワールドシリーズ制覇への大きな一歩を踏み出す。
1999年にはプレーオフ初出場を果たすが、ディビジョンシリーズでニューヨーク・メッツに1勝3敗で敗れた。 2001年にはジョンソンと豪腕カート・シリングの大車輪の活躍により、ワールドシリーズでニューヨーク・ヤンキースとの歴史的死闘の末、第7戦でルイス・ゴンザレスがヤンキースの守護神マリアノ・リベラから逆転サヨナラヒットを放ち、球団創設4年目でワールドシリーズ制覇という快挙を成し遂げる。このシリーズのMVPはジョンソンとシリングが同時受賞している。 2002年も地区優勝するも、ディビジョンシリーズでセントルイス・カージナルスに敗れ、2003年はランディ・ジョンソンとカート・シリング両投手の故障で地区3位に終わるが、ブランドン・ウェブがメジャーデビューを果たすなどして若手が少しずつ台頭してきたため積極的にトレードを行ってチームの平均年齢が若くなり「ヤング・バックス」[2]と呼ばれた。 2004年5月18日にアトランタのターナー・フィールドで行われた対ブレーブス戦でランディ・ジョンソンが完全試合を達成したが、この年は51勝111敗と大きく負け越す。オフにはウォーリー・バックマンの監督就任が発表されたが、2度の逮捕歴に加えて破産歴もあったことから、わずか4日後に解任される事態も起きている。 2006年11月8日、球団はチームカラーを赤へ変更すると発表、ユニフォームが赤を基調としたデザインに変更された。深い赤はアリゾナ州の景勝地として有名なセドナの赤い岩を、ベージュはソノラ砂漠の砂をイメージしたもの。また、これまでビジター用キャップに使用されていた、ガラガラヘビがチーム名の頭文字"D"を象っているロゴマークが、ホーム用キャップに使用され、これまでホーム用キャップで使用されていた"A"のロゴが赤基調に変更されビジター用キャップに使用されることになった。 2007年は下馬評は決して高くなかったが若手が台頭し、得点よりも失点が多いにもかかわらず5年ぶりに地区優勝を果たした。 2009年は地区最下位だった。2001年ワールドシリーズ開幕式の様子。左からヤンキーズ監督ジョー・トーリ、合衆国大統領ジョージ・ブッシュ、ダイヤモンドバックス監督ボブ・ブレンリー。2008年のランディ・ジョンソン2017年のポール・ゴールドシュミット2018年スプリングトレーニングで投げる中後悠平2019年に投げるメリル・ケリー 2010年は2年連続で地区最下位だった。 2011年には前年のワールドシリーズ覇者、サンフランシスコ・ジャイアンツを振り切り4年ぶりの地区優勝。ディビジョンシリーズではミルウォーキー・ブルワーズを相手に0勝2敗から2勝を挙げて巻き返しを見せたが、敵地ミラー・パークで勝てなかったことが響き、2勝3敗で敗退した。オフの12月12日に斎藤隆と契約。チーム初の日本人選手となった。 2012年5月26日、ミゲル・モンテロと球団史上最高額となる5年総額6,000万ドルの契約を結んだ。
2000年代
2010年代