アリソン・クラウス
Alison Krauss
2012年
基本情報
出生名Alison Maria Krauss
生誕 (1971-07-23) 1971年7月23日(52歳)
出身地 アメリカ合衆国
イリノイ州 メイコン郡 ディケーター
ジャンルカントリー、ブルーグラス
職業歌手、演奏家、音楽プロデューサー
担当楽器ボーカル、ピアノ、フィドル
活動期間1985年 -
レーベルラウンダー・レコード
共同作業者ヴィクター・クラウス
アリソン・クラウス(Alison Krauss、1971年7月23日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の歌手、フィドル奏者。ブルーグラス/カントリーの分野で活動し、1990年代にブルーグラスを新しい聴衆に届けたアーティストとして評価されている[1]。
1987年にラウンダー・レコードからデビューを果たして、その後バック・バンドのユニオン・ステーションと共に活動を続けていく。2012年現在、グラミー賞の受賞数は27[2]で歴代2位[3]・女性では史上最多である[3]。また、ドリー・パートンやヴィンス・ギル等多数のカントリー・ミュージシャンとの共同作業に加えて、ロバート・プラントやジョン・ウェイト等、ロック/ポップス系のミュージシャンとのコラボレーションも多い。
自分で作詞・作曲を行うことは少なく、クラウスは2011年のインタビューにおいて「ソングライティングに抵抗があるわけじゃなくて、自分がやらなければいけないことだと思っていないだけ」「私は『この曲は私が歌わなきゃ』とすぐに思わされるような音楽をたくさん聴いている」と語っている[4]。 イリノイ州ディケーターで生まれ[1]、イリノイ州シャンペーンで育った[5]。父は1952年に渡米してきたドイツ系アメリカ人で、母はドイツ系およびイタリア系 [5]。2歳年上の兄ヴィクター・クラウス
来歴
デビュー前
5歳でヴァイオリンを習い始めるが、クラシック音楽には興味を持てずカントリーおよびブルーグラスに傾倒し[1]、更に、友人たちの影響でAC/DC、カーリー・サイモン、ローリング・ストーンズ、レーナード・スキナード、エレクトリック・ライト・オーケストラ等の曲にも触れた[7]。また、クラウスはポール・ロジャースの大ファンとして育ち[8]、後にロジャースが在籍していたバッド・カンパニーの楽曲「オー・アトランタ」をカヴァーしている。
1983年11月、SPBGMA(米国ブルーグラス音楽保存協会)による全米フィドラーズ・チャンピオンシップで9位となった[9]。1985年、 インディーズ・レーベルのFiddle Tunesからリリースされたアルバム『Different Strokes』に兄ヴィクターと共に参加しており、これがクラウスの初レコーディングとなった[1]。 クラウスは1985年にラウンダー・レコードとの契約を得て、1987年にはデビュー・アルバム『トゥー・レイト・トゥ・クライ』を発表。続く『Two Highways』(1989年)は、初めてユニオン・ステーションと連名のアルバムとしてリリースされ、グラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞にノミネートされるが、受賞は果たせなかった[1]。 1990年のアルバム『アイヴ・ガット・ザット・オールド・フィーリング』で、クラウスは初めてビルボードのカントリー・アルバム・チャート入りを果たして最高61位を記録し[10]、このアルバムでグラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞を受賞した[10]。次作『Every Time You Say Goodbye』(1992年)はカントリー・アルバム・チャートで75位に達し、2作連続でグラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞を受賞[10]。 1993年、クラウスはグランド・オール・オプリのメンバー入りを果たす。ブルーグラスのアーティストがメンバー入りするのは29年ぶりで、また、当時としては最年少のメンバーであった[11]。 1995年発表のコンピレーション・アルバム『Now That I've Found You: A Collection』はカントリー・アルバム・チャートで2位、総合チャートのBillboard 200でも13位という大ヒットを記録して[10]、1996年3月にはRIAAによってダブル・プラチナに認定された[12]。また、クラウスは1995年のカントリーミュージック協会賞で女性ボーカリスト賞とホライゾン賞を受賞し、シングル・ヒット曲「en:When You Say Nothing At All
1985年 - 1999年