アリス・ウォーターズ
ベルリンのアメリカ大使館を訪れるアリス・ウォーターズ(2015年2月)
生誕 (1944-04-28) 1944年4月28日(80歳)
アメリカ合衆国ニュージャージー州チャタム郡区
アリス・ウォータース(Alice Louise Waters 1944年4月28日-) は、アメリカのシェフ、レストラン経営者、活動家、作家である。1971年にオープンしたアメリカ・カリフォルニア州バークレーにあるレストラン「シェ・パニーズ」の創業者であり、オーガニック、地元産の食材を使用し、カリフォルニア料理の先駆者として知られる[2]。
著書に『Chez Panisse Cooking』(未訳、ポール・ベルトッリとの共著)、『アート オブ シンプルフード』、『40 Years of Chez Panisse』(未訳)がある[2]。自伝『 Coming to my Senses: The Making of a Counterculture Cook』(未訳)が2017年9月に出版され、翌年5月にペーパーバック版が発行された[3]。
1996年にはシェ・パニーズ財団を設立し、カリフォルニア州バークレーのマーティン・ルーサー・キングJr・ミドルスクールにて、エディブル・スクールヤード・プログラムを始めた。教育現場における昼食の改革と、誰もが健康的でオーガニックの食材を得ることができる社会を提唱。ミシェル・オバマ元大統領夫人が提案したホワイトハウスの有機菜園にも影響を与えた[4]。 ニュージャージー州生まれ。父親は経営コンサルタントのチャールズ・アレン・ウォーターで、母親は専業主婦のマーガレット。カリフォルニア大学サンタバーバラ校から転学し、カリフォルニア大学バークレー校を卒業した。専攻はフランス文学。在学中にフランスに留学し、フランスでは地元産の新鮮な食材を買い求める生活をしていた。 帰国後、北カリフォルニアのローカルな食材を使った食の普及に努めた[5]。ウォータースにとって、食はただ食べるものではなく、生き方そのものである[6]。 バークレー校に在学中にフリースピーチ運動が盛んになり、自身も運動参加した[7][8]。同じく運動を行う人々に、料理をふるまうこともあったという[9]。 やがてヨーロッパに戻り、ロンドンのモンテッソーリ・スクールで学んだ。モンテッソーリ教育が、ウォータースのエディブル教育、後の「エディブル・スクールヤード」に影響を与えた[10][8]。 ロンドンで学んだあとはトルコに旅行をして、ホスピタリティやローカル・コミュニティに触れる。トーマス・マクナミーの著書『Alice Waters and Chez Panisse』でその旅について記し、ウォータースが出会ったトルコ人の若い男性が、少ししかなかった自身の紅茶とチーズを彼女と同行者に分け与えてくれたことを描いた。この時の出来事が「シェ・パニーズ」のホスピタリティにつながった[11]。 その後はフランスに行き、1年ほどの旅を始めた。この旅で食やフランス文化への情熱を確かなものとし、カリフォルニア州に戻って「シェ・パニーズ」をオープンした[12]。 ウォータースは影響された人物として、イギリスの料理作家であるエリザベス・デイビットを挙げている。他にもアメリカにおいてフランス料理の権威であり、人生の大半をフランスで過ごしたリチャード・オルニー オルニーはウォータースにルシアン・ペローとルル・ペローというプロヴァンスにあるドメーヌ・タンピエのワイン畑のオーナーに紹介した。ウォータースの料理と「シェ・パニーズ」のメニューにはルルの料理の影響が見られる。 また、ウォータースは中国料理をセシリア・チェンに習い、長きに渡って友人関係となった[14]。
来歴
フリースピーチ運動
その他の影響