アラン・ロングミュアー
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アラン・ロングミュアー
出生名Alan Longmuir
生誕 (1948-06-20)
1948年6月20日
スコットランドエディンバラ
死没2018年7月2日(2018-07-02)(70歳)
スコットランド、ラーバート
ジャンルロックポップ
職業ミュージシャン
担当楽器ベース
活動期間1970年 ? 2018年

アラン・ロングミュアー(Alan Longmuir、1948年6月20日 - 2018年7月2日)は、スコットランド人ミュージシャンで、1970年代ポップ・グループ、ベイ・シティ・ローラーズの創設メンバーのひとり。ベイ・シティ・ローラーズではベースを担当し、弟のデレク・ロングミュアーがドラマーだった[1]
生涯

ロングミュアーは、エディンバラのシンプソン記念産科別棟病院 (Simpson Memorial Maternity Pavilion Hospital) で生まれた。父は葬儀屋だった。音楽一家に育ったロングミュアーは、17歳で自身最初のバンドを、弟のデレクと、他の2人のメンバーとともに結成した。このバンドは、名前やメンバーのラインナップを変えながら、やがてベイ・シティ・ローラーズとなった[1]。バンドで成功するまで、彼は配管工として働いていた[2]1976年2月14日、アムステルダム・スキポール空港で撮影されたベイ・シティ・ローラーズ。向かって右端が、アラン・ロングミュアー。

1976年ベイ・シティ・ローラーズの人気が最高潮に達した時期に、アラン・ロングミュアーはバンドを脱退し、代わって10歳年下のリズム・ギタリストイアン・ミッチェルがメンバーとなったが、ミッチェルもほどなくして脱退し、代わってパット・マッグリンが加入した。当時、バンドのマネージャーだったタム・ペイトンは、ロングミュアーが自殺を図ったと述べた。しかし、ペイトン自身の不適切な振る舞いが、バンドのメンバーの一部の不興を買っていたことが後に明らかにされた[1][3]

1978年にマッグリンが脱退すると、ロングミュアーはバンドに復帰し、その後はベースリズムギターキーボードを曲によって持ち替えながら演奏した。彼はまた、鍵盤アコーディオンの演奏もこなした[4]

1981年にはドイツの劇映画『Burning Rubber』に出演したが、俳優としてのキャリアは拓けなかった[5]

ロングミュアーは2度結婚しており、最初の妻ジャン・ロングミュアーとは1985年から離婚する1990年まで一緒で、ひとり息子ジョーダン (Jordan) をもうけた[6]。2度目の結婚相手アイリーン・ランキン (Eileen Rankin) とは、1998年から死去するまで一緒で、ふたりの息子たちをもうけた[7]2016年には、アイリーンが、バンドの再結成コンサートにおける夫であるアラン・ロングミュアーの演奏を批判した別のバンド・メンバーの妻を相手に、舞台裏で喧嘩沙汰になったと報じられた[8]

クラックマナンシャーのドラー(英語版)でキャッスル・キャンベル・ホテル (Castle Campbell Hotel) のオーナーに収まっていた頃、ロングミュアーは心筋梗塞で2度、脳卒中で1度倒れたが[7]2000年には、建築検査(英語版)員としての再教育を受けることを決意した[9]

ロングミュアーは、2018年7月2日に、スコットランドのラーバート(英語版)にあるフォース・バレー王立病院(英語版)で、休暇で訪れたメキシコで感染した病気のために死去したが、これはカンクンのガレニア病院 (Hospital Galenia) で入院し、退院して帰国した上でのことであった。70歳であった[10][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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