アラン・トランメル
[Wikipedia|▼Menu]

アラン・トランメル
Alan Trammell
シカゴ・カブスコーチ当時のトランメル
(2010年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ガーデングローブ
生年月日 (1958-02-21) 1958年2月21日(66歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り1976年 ドラフト2巡目
初出場1977年9月9日
最終出場1996年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


カーニー高等学校

デトロイト・タイガース (1977 - 1996)

監督・コーチ歴


デトロイト・タイガース (1999)

サンディエゴ・パドレス (2000 - 2002)

デトロイト・タイガース (2003 - 2005)

シカゴ・カブス (2007 - 2010)

アリゾナ・ダイヤモンドバックス (2011 - 2014)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2018年
得票率81.25%
選出方法ベテランズ委員会選出
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

アラン・スチュアート・トランメル(Alan Stuart Trammell, 1958年2月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデングローブ出身の元プロ野球選手遊撃手)、監督。右投右打。

MLBデトロイト・タイガースで活躍した。背番号3はタイガースの永久欠番。タイガース退団後はシカゴ・カブスアリゾナ・ダイヤモンドバックスでベンチコーチ(NPBのヘッドコーチに相当)を務めた。「トラメル」とも表記される。
経歴
現役時代

デトロイト・タイガースに入団し、マイナーでのプレイの後、1977年9月9日にフェンウェイ・パークでのボストン・レッドソックスとのダブルヘッダー第2試合でメジャーデビュー。長年にわたって二遊間の「キーストン・コンビ」を組むことになるルー・ウィテカーも同じ試合でデビューを果たした。フルシーズン一年目の1978年には139試合に出場。新人王をとったのはウィテカーであった。

1980年には打率.300、9本塁打、65打点を記録して初のオールスターゲーム出場を果たす。守備力にも優れ、この年初のゴールドグラブ賞を受賞。遊撃手という名手揃いのポジションにあって、以後通算4回同賞を獲得する。

その後2年続けて打率.258の不振に終わったが、1983年には.319、初の2桁本塁打(14)、自己最多の30盗塁を記録し、ア・リーグカムバック賞を受賞。

そして1984年にはチームは最初の40試合で35勝(MLB記録)を挙げ、その勢いで地区優勝を果たす。トランメル自身も打率.314を記録。カンザスシティ・ロイヤルズとのチャンピオンシップシリーズ(この年まで5回戦制)では打率.364、1本塁打、1三塁打を記録し、チームは3連勝でワールドシリーズに進出。サンディエゴ・パドレスとのワールドシリーズではトランメルは20打数9安打、打率.450を記録。チームは4勝1敗でワールドチャンピオンに輝き、トランメルはシリーズMVPに選ばれた。

1986年には初の20本塁打(21本)を打つ。この年タイガースの内野陣は一塁・ダレル・エバンス、二塁・ウィテカー、三塁・ダネル・コールズ(のち中日阪神)、遊撃・トランメルと内野手全員が20本塁打を打つ。

その年のオフに4番・捕手のランス・パリッシュフリーエージェント(FA)でフィラデルフィア・フィリーズに移籍。それまで主に2番を打っていたトランメルは、監督スパーキー・アンダーソンによって、1987年より4番で起用されることとなる。その1987年には終盤首位のトロント・ブルージェイズを追い上げ、9月にはトランメルが18試合連続安打を含む打率.416、17打点と打ちまくり、チームは残り2試合で逆転し地区優勝を決める。トランメル自身も打率.343、28本塁打、105打点、200安打の大活躍。タイガースの選手で200安打と100打点を同じ年に記録したのはアメリカ野球殿堂入りした大先輩アル・ケーライン(1955年)以来32年ぶりであった。MVP投票でもジョージ・ベル(ブルージェイズ)に次ぐ2位の高得票を得た。

1988年6月21日のヤンキース戦で、3-6とリードされていた9回裏に逆転サヨナラ満塁本塁打を打つ。タイガースはこの試合をはさんで3試合連続でヤンキースにサヨナラ勝ちを収めている[1]タイガー・スタジアムにて打つトランメル(1991年)

1991年以後は膝・肘の故障に悩み、1992年は29試合の出場に終わる。

1996年限りで現役を引退。なお、トランメルとウィテカーは通算1918試合に共に出場している。これは、ポジションを問わず、特定の2選手が同じ試合に出場した数としては、ア・リーグ記録である。この両者が完成させた併殺は、二塁・遊撃のコンビとしてはMLB史上最多である。
引退後

引退後はマイナーのコーチとなり、1999年にタイガースの打撃コーチに就任。

2000年から2002年サンディエゴ・パドレスの一塁ベースコーチを務めた。

2003年から2005年はふたたび古巣タイガースに復帰し監督を務めた。初年度の2003年は、メッツ(1962年の120敗)のMLBワースト記録の更新かと思われるほどのペースの敗戦が続き、何とか免れるもののア・リーグのワーストレコードとなる119敗を喫する。2004年には71勝91敗、2005年は72勝90敗に終わり、3年間合計で300敗を喫した。2005年10月3日に解任され、後に就任したジム・リーランドのもと、タイガースは翌2006年にワールドシリーズ進出を果たす。しかしファンからの支持は高く、2006年10月の試合時にコメリカ・パークを埋めたファンからスタンディング・オベーションを受けている。

2007年からシカゴ・カブスのベンチコーチに就任。

2011年からアリゾナ・ダイヤモンドバックスのベンチコーチに就任。しかし2014年に地区最下位になったことにより、カーク・ギブソン監督とともに退団が決定。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:104 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef