アラモ_(1960年の映画)
[Wikipedia|▼Menu]

アラモ
The Alamo

監督ジョン・ウェイン
脚本ジェームズ・エドワード・グラント(英語版)
製作ジョン・ウェイン
出演者ジョン・ウェイン
リチャード・ウィドマーク
ローレンス・ハーヴェイ
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影ウィリアム・H・クローシア
制作会社The Alamo Company
ユナイテッド・アーティスツ
Batjac Productions
配給ユナイテッド・アーティスツ
公開 1960年10月24日
1960年12月24日
上映時間202分(ロードショー版)/162分(通常公開版)
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$12,000,000
興行収入$7,200,000 (US/ Canada)[1]
配給収入2億6754万円[2]
テンプレートを表示

『アラモ』(The Alamo)は、1960年に公開された西部劇映画。テキサス独立戦争中の1836年に起こったアラモの戦いを題材としている。ジョン・ウェインが主演・監督・制作を兼任し、ユナイテッド・アーティスツが配給した。ウェインの他にも、リチャード・ウィドマークローレンス・ハーヴェイらが主役級で出演している。また撮影にはトッドAO方式(英語版)の70mmフィルムが用いられている。
解説「アラモの戦い」も参照

本作ではアラモの戦いとそれに至るまでの出来事を描いている。当時、独立を目指すテキサス軍を指揮していたサム・ヒューストン将軍は、不十分な軍の再編を行うべく時間を必要としていた。一方、サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍は兵力・装備・訓練のどれを取ってもテキサス軍に優っている。しかし、それにもかかわらずテキサス軍は非常に高い士気を保っていた。

その頃、サンアントニオ郊外での任務を終えたウィリアム・トラビス中佐はアラモに守備隊長として派遣される。そこにジム・ボウイが援軍として到着し、さらにテネシー州の義勇兵中隊を率いたデイビー・クロケットも現れる。クロケットはトラビスと会談し、その悲惨な状況を聞いた上で部下と共にアラモの守備隊に合流することを決意する。
あらすじ

1830年代、テキサスはメキシコの領地だった。多数の移民が流入する中、軍事独裁制のメキシコからの分離独立を目指すテキサス革命が起こった。合衆国のヒューストン将軍は、劣勢な革命軍を立て直す時間を稼ぐ為に、トラビス中佐にアラモ砦の死守を命じた。

アラモ砦は、伝導所の廃墟を改造した貧弱な施設だった。1836年、僅か187名で砦に駐留するトラビス中佐。対するメキシコ軍は統制のとれた大軍で、勝敗は初めから明らかだった。そこに駆けつけるジム・ボウイデイビー・クロケットの率いる数十名の義勇軍。ボウイとクロケットは共に合衆国の伝説的な英雄であり、男臭い熱血漢だった。

近くの町で、メキシコ軍のシンパに蹂躪される美しい未亡人を救うクロケット。クロケットと共に、メキシコ側が隠した大量の火薬を奪うボウイ。クロケットは言葉巧みに、近隣の住人たちを味方に引き入れ、食料としてメキシコ軍の財産である牛を、百頭も奪って砦に追い込んだ。しかし、メキシコ軍は圧倒的な勢力で、指揮官のトラビス中佐は更なる援軍の到着を心待ちにしていた。

6千の敵軍に包囲されるアラモ砦。砦には、夫に同行して来た多くの妻子も留まっていた。女性と幼児の退去を勧めるメキシコ軍。涙ながらに砦を去る妻子たち。当初は善戦し、10日間は持ち堪える革命軍。たが、もはや援軍が期待できないことは明らかだった。正規軍以外の兵に名誉ある撤退を勧めるトラビス中佐。だが、クロケットたち義勇軍は誰一人引かなかった。

13日の攻防の末に、革命軍は全滅した。トラビス中佐の腹心であるディキンソン大尉の夫人と幼い子供たちは、最後まで踏み留まって生き残り、メキシコ軍が敬礼する中、堂々と砦を後にした。砦は落ちたが、メキシコ軍を引き留めた功績と、その武勇が味方に残した意義は計り知れなかった。
キャスト

役名俳優日本語吹替
NET
デイビー・クロケット大佐ジョン・ウェイン納谷悟朗
ジム・ボウイリチャード・ウィドマーク大塚周夫
ウィリアム・トラビス大佐ローレンス・ハーヴェイ広川太一郎
スミティフランキー・アバロン富山敬
ジェームス・ボーナムパトリック・ウェイン
フラカリンダ・クリスタル池田昌子
ディッキンソン夫人ジョーン・オブライエン沢田敏子


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef