アラミス・ラミレス
Aramis Ramirezピッツバーグ・パイレーツ時代
(2015年9月22日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地サントドミンゴ
生年月日 (1978-06-25) 1978年6月25日(45歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手
プロ入り1994年 アマチュア・フリーエージェントとしてピッツバーグ・パイレーツと契約
初出場1998年5月26日
最終出場2015年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ピッツバーグ・パイレーツ (1998 - 2003)
シカゴ・カブス (2003 - 2011)
ミルウォーキー・ブルワーズ (2012 - 2015)
ピッツバーグ・パイレーツ (2015)
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アラミス・ニン・ラミレス(Aramis Nin Ramirez, 1978年6月25日 - )はドミニカ共和国・サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。 1994年、16歳の時にピッツバーグ・パイレーツに入団。傘下のA+級リンチバーグ・ヒルキャッツ時代の1997年には137試合に出場して、打率.278、29本塁打、114打点を記録、この年のリーグMVPを獲得した。その後、プロ4年目となる1998年5月26日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。これは球団史上1974年9月2日にミゲール・ディローン
経歴
プロ入りとパイレーツ時代
1999年は、チームに同じ三塁手のエド・スプレイグが加入したことで、シーズンの大半をAAA級ナッシュビル・サウンズで過ごすことになった。AAA級ナッシュビルでは131試合の出場で、打率.328、21本塁打、74打点を記録。シーズン終盤にはメジャーに昇格し、三塁手のレギュラーとして18試合に出場したものの、打率.179と精彩を欠いた。
2000年は開幕をメジャーで迎えたが、4月を終わった時点で打率.167とほとんど結果を残せず、再びAAA級ナッシュビルに降格。しかし6月半ばにメジャーに再昇格し、8月下旬の故障者リスト入りまでの73試合の出場で、打率.256、6本塁打、35打点を記録した。
2001年、新本拠地となるPNCパークが開場し、4月8日のヒューストン・アストロズ戦では球団タイ記録となる1試合3本塁打を記録するなど[2]、開幕から好調を維持した。最終的に自身初となる3割・30本塁打・100打点を達成し、三塁手として球団史上1930年にパイ・トレイナーが119打点を記録して以降最も多い112打点を記録した[2]。
2002年はシーズン序盤こそ好成績を残していたが、中盤から一気に調子を落とし、最終的に規定打席到達者では最低となる打率.234を記録してしまった。翌2003年も5月中旬まで打率2割台前半と不調が続いていたものの、そこから一気に固め打ちを行い、7月には打率3割台まで上昇した。
カブス時代シカゴ・カブス時代
(2007年7月19日)
2003年7月23日にケニー・ロフトンと共に2対3のトレードで、シカゴ・カブスへと移籍。移籍後も好調を維持し、63試合で15本塁打を記録した。その後、初となるポストシーズンにも出場を果たし、フロリダ・マーリンズとのリーグ優勝決定戦では3本塁打の活躍を見せた。
2004年、3年ぶりに3割・30本塁打・100打点を達成し、1965年にロン・サントが記録した33本塁打を上回るカブスの三塁手として新記録となる36本塁打を記録[3]。9月16日のレッズ戦では3本塁打、1二塁打で球団タイ記録となる1試合14塁打を記録している[3][4]。
2005年は初選出となったオールスターで負傷のスコット・ローレンに代わり三塁手として先発出場[5]。8月24日のアトランタ・ブレーブス戦で初回を終えた時点で負傷交代。翌25日に左大腿四頭筋の負傷により故障者リスト入りし、シーズンを終えた[6]。