アラベスク_(歌手)
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Arabesque

基本情報
出身地 西ドイツ
ジャンルディスコ
活動期間1977年 - 1985年
2006年
レーベルEMI→Metronome Records
ビクター音楽産業
共同作業者ヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)
ジーン・フランクファーター(Jean Frankfurter)
公式サイト ⇒Arabesque feat. Michaela Rose

メンバーミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)
ザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)
ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)

旧メンバーサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)
ジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)

アラベスク (Arabesque) は、1977年にデビューし、1985年頃まで活動[1]した西ドイツ(当時)の女性ボーカルトリオである。

曲がラジオの深夜番組でよくオンエアされ、竹の子族などの支持もあり、ノーランズと共に80年代前期の日本における洋楽の人気の牽引車となり、日本発の人気は韓国中国語圏などアジアにまで広がった。また、当時のソ連や中南米でも成功を収めたが、一方、本国西ドイツでは「傷つけないで」(40位)「哀愁のマリゴット」(8位)「恋にメリーゴーランド」(25位)の3曲しか全独シングルチャートのトップ40に入ることができなかった。
歴史

1977年、西ドイツの実業家であるヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)は、当時ドイツから世界に向けてヒットを連発していたボニーMに触発されて、自らもボニーMのようなプロジェクトを作りたいと思い立ち、傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを組み、プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作、世界各地に売り込みをかける。

1978年、日本のビクター音楽産業が、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得し、大ヒットを記録。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1978年6月26日付から通算3週1位を獲得した[2]。このヒットによって、それまでいろいろな人物が入れ替わり立ち変わりしていた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクファーター(Jean Frankfurter)、シンガー・チームにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、ジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)という固定したメンバーによるプロジェクトとして活動することとなる。

特に1979年から加入しメイン・ボーカルに起用された当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーは、美貌かつ小顔で手足が長いモデル体型の美女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプで人気を牽引した。アラベスクの活動停止後、1982年の日本公演・6thアルバム『キャバレーロに夢中』に参加した、キーボード奏者・ソロアーティスト・プロデューサー(作品にはマイク・オールドフィールドの「アイランド」、ヒューバート・カーなど)として活動していたマイケル(ミヒャエル)・クレトゥのプロデュースでソロ・デビュー、1988年に結婚(現在は離婚)、エニグマ参加に至る。

アラベスクとしては長らく活動休止状態だったが、2006年12月、オリジナルメンバーのミシェーラ(Michaela Rose)をメインボーカルに新メンバー、ザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)、ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の3人がモスクワのレトロ・FMフェスティバルにゲスト出演し、往年の曲を披露した。世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されている。
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
『アラベスク・ファースト
』 - Friday Night (1978.12.5)(日・独ともに1st)

『ペパーミント・ジャック』 - Arabesque II : City Cats (1979.10.25)(日・独とも2nd)

『ハイ・ライフ』 - Arabesque III : Marigot Bay (1980.5.21)(日・独とも3rd)

『さわやかメイク・ラブ』 - Arabesque IV : Midnight Dancer (1980.12.5)(日本4th)

『ビリーズ・バーベキュー』 - Arabesque V : Billy's Barbeque (1981.8.21)(日本5th)

In For A Penny (1981)(独4th。日本盤『さわやかメイク・ラブ』『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでの最後のオリジナルアルバム)

『キャバレーロに夢中』 - Arabesque VI : Caballero (1982.4)(日本6th) *裏ジャケにキーボード:マイケル・クレテュ、ギター:マッツ・ビョークランド(「ザンジバル」、「シークレット・ランド/サンドラ」共作者)の記載

『愛のリプライ』 - Arabesque VII : Why No Reply (1982.12)(日本7th)

『恋のルーザー』 - Arabesque VIII : Loser Pays The Piper (1983.12)(日本8th)

『恋はナイト・アンド・デイ』 - Arabesque IX : Time To Say 'Good-Bye' (1984.12.16)(日本9th。ラスト・アルバム)

ベスト・アルバム/企画アルバム
『アラベスク・グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1981.5)(初来日を記念した企画盤、アラベスク初のベストアルバム)

『カラフル・アラベスク』 - Everybody Likes Arabesque ~Nonstop Hit Medley~ (1982.3)(またも来日を記念した特別企画盤。こちらはノンストップミックスが特徴的。)

『ファンシー・コンサート アラベスク・ライブ イン・ジャパン』 - FANCY CONCERT ~Arabesque Live In Japan~ (1982.10.21)(日本公演ライブアルバム)

『ラジオ☆アラベスク』 - RADIO ARABESQUE (1983.9)(「『本人たちがDJするラジオ局』で自分たちの曲紹介をする」という、一風変わった企画盤)

『アラベスク・ベスト・コレクション』 - ARABESQUE BEST COLLECTION (1984.5.21)※

『ハート・オン・ファイア / アラベスク・スーパー・ベスト』 - ARABESQUE SUPER BEST (1984.8.21)※(上記と同一内容の初ベストCD)

『ハロー・ミスター・モンキー?恋にメリー・ゴランド / アラベスクのすべて』 - ARABESQUE BEST SELECTION (1986.11.1)(解散後の初ベストアルバム)

『<Best One>アラベスクのすべて』 - Best One - ARABESQUE (1987.11.1)

『<Best One>決定版アラベスク・グレイテスト・ヒット』 - Best One - ARABESQUE (1989.11.21)(全20曲、1988.10.21にジャケット違いが発売)

『<Best One>アラベスクのすべて』 - ARABESQUE (1984.12.16)(全18曲。1990.11.25、1991.10.25と『<Best One>アラベスク・ベスト・コレクション』としてそれぞれジャケット違いで再発売。)

『<TWIN BEST>アラベスク・ベスト・ヒット36』 - ARABESQUE BEST HITS 36 (1992.11.26)(2枚組のコンピレーション・アルバム)

『ベスト・オブ・ベスト』 - BEST OF BEST ARABESQUE (1994.10.26)(1500円シリーズの廉価版。価格のためか10曲しか入ってない)

『Arabesque Deluxe
』 - Twin Best (1995.06.28)(2枚組のコンピレーション・アルバム。本国ドイツでは1994年に発売)

『アラベスクのすべて』 - THE BEST OF ARABESQUE (1996.1.24)(5枚組の「ビクター・ファミリー・クラブ」通販専用盤。後に一般にも発売)

『アラベスク・ノン・ストップ・ベスト・ヒッツ』 - ARABESQUE NON-STOP BEST HITS (1998.3.4)(ノンストップ・リミックス盤)

『アラベスク・ベスト・コレクション』 - ARABESQUE BEST COLLECTION (2001)(ソニーのCD専門通販「The CD Club」企画盤、唯一の『他メーカー発売』アルバム。廃盤)

『<おとなBEST>ARABESQUE』(2009.9.16)(久々の『メーカー企画』ベスト、SHM-CD仕様。カバージャケットはドイツ盤シングル「哀愁のマリゴット」の別カットと思われる写真が使われている。)

『スーパー・ベスト』 - ARABESQUE Super BEST (2009.12.4)(TSUTAYA限定の廉価版。上記『おとなBEST』から「貴方を待って」「ディスコ・フィーバー」「キャバレーロに夢中」「ルシファーズ・ラバー」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ガン」「終幕」の6曲を除いたもの)


アルバムの原題は、ドイツ盤のあるものはドイツ盤に準拠したため一部日本盤とは異なる。



シングル

※ 邦題付の曲のみ表記

※ 全てビクターレコード発売

発売日規格品番面タイトル
1977年12月1日VIP-2601Aハロー・ミスター・モンキー Hello Mr.Monkey

Bバギーボーイ Buggy Boy
1978年9月25日VIP-2653Aフライデイ・ナイト Friday Night
B貴方を待って Someone Is Waiting For You
1979年1月25日VIP-2695Aフライ・ハイ Fly High Little Butterfly
Bギブ・イット・アップ Give It Up
1979年7月5日VIP-2753A今夜もロック・ミー Rock Me After Midnight
Bディスコ・フィーバー In The Heat Of The Disco Night
1979年10月25日VIP-2783Aペパーミント・ジャック Peppermint Jack
Bルシファーズ・ラバー Lucifer's Lover
1980年2月21日VIP-2811Aハイ・ライフ High Life
Bローラー・スター Roller Star
1980年6月5日VIPX-1509A恋のペントハウス Parties In A Penthouse
Bジングル・ジャングル・ジョー Jingle Jangle Joe
1980年10月21日VIPX-1539Aさわやかメイク・ラブ Make Love Whenever You Can
Bひとりぼっちの朝食 I Dont Wanna Have Breakfast With You
1981年2月5日VIPX-1559Aミッドナイト・ダンサー Midnight Dancer
B狼に気をつけて Keep The Wolf From The Door
1981年5月21日VIPX-1572A恋にメリーゴーランド In For A Penny In For A Pound
B私のナイス・ヒーロー The Hero Of My Life
1981年8月21日VIPX-1586Aビリーズ・バーベキュー Billy's Barbeque
Bインディオ・ボーイ Indio Boy
1981年11月21日VIPX-1600A幸せのジャックポット Hit The Jackpot
Bフラッシュ・イン・ザ・パン A Flash In The Pan
1982年3月21日VIPX-1627Aキャバレーロに夢中 Caballero
B愛しのストーリー・テラー Tall Story Teller
1982年7月21日VIPX-1651Aヤング・ファースト・ラブ Young Fingers Get Burnt
Bザンジバル Zanzibar
1982年11月21日VIPX-1677A愛のリプライ Why No Reply
Bディスカバー・ミー Discover Me
1983年VIPX-1698Aあの愛をもう一度 Pack It Up
Bステューピッド・ボーイズ Stupid Boys
1983年VIPX-1716A気分もエアロビック Dance Dance Dance
Bサンライズ・イン・ユア・アイズ Sunrise In Your Eyes
1983年VIPX-1729A恋のルーザー Loser Pays The Piper
B天使と悪魔 Angel Face
1984年2月VIPX-1753Aハート・オン・ファイア Heart On Fire
Bそれならムーヴ・オン You Better Get A Move On
1985年VIPX-1793A恋はナイト・アンド・デイ Time To Say -Good Bye
Bサンセット・イン・ニューヨーク Sunset In Newyork

備考

日本2000年にヒットしたモーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」はサウンドアレンジやメロディにおいてアラベスクの影響を強く受けており、アラベスクへのオマージュともいえる楽曲である。

2014年からグリーンチャンネルで放送されている教えてVANdaくん! 勝ち馬リサーチャーの番組オープニングで「ペパーミント・ジャック」(Peppermint Jack)が使用されている。

2017年akaneが振付・演出・指揮を務めた大阪府立登美丘高校の「バブリーダンス」において荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(前半)、「ダンシング・ヒーロー」(後半)の間奏としてアラベスクの「ハート・オン・ファイア」(Heart On Fire)のイントロが使用される。


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