アラビア語文学(アラビアごぶんがく、アラビア語: ????? ??????、al-Adab al-‘Arab? )とは、アラビア語の文芸、及びそれらの作品や作家を研究する学問を指す。 イスラーム以前を表すジャーヒリーヤ時代から、アラブの遊牧諸部族には多くの優れた詩人が活躍した。詩人たちは慕情、旅の苦労、名誉や事績の称賛、部族間の戦い、敵への誹謗などを題材とし、優れた詩は口承によって伝えられた。6世紀には詩人ムハルヒル ( Al-Muhalhil
目次
1 アラビア語文学の歴史
1.1 イスラーム以前
1.2 イスラーム以降
2 文学研究
3 詩歌
4 地理書、紀行
5 説話文学
6 小説
7 ノーベル文学賞を受賞したアラビア語文学作家
8 上記以外の著名人物
9 アラビア語文学の研究者
10 脚注
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク
アラビア語文学の歴史
イスラーム以前
イスラームの広まりにより、コーランは文学的にも優れた聖典として読まれ、さまざまな民族がアラビア語を使うようになる。また、コーランを正しく読解するためにバスラやクーファではアラビア語の研究も行われた。正統カリフとウマイヤ朝の時代を通じてアラビア語圏はペルシアやエジプトにも拡大し、アフリカへと浸透する。ウマイヤ朝の時代は遊牧民時代の表現を守っていたが、アッバース朝になると都市化がすすみ、詩をはじめとして文芸のジャンルが増加した。散文の世界には諷刺的な観察眼をもつジャーヒズが登場し、博物誌的な大著から『けちんぼどもの書』のような批評まで旺盛に執筆した。また、後ウマイヤ朝によってイベリア半島でもアラビア語の文芸が活発になり、アンダルスと呼ばれた地域ではイブン・ザイドゥーンなどが活躍した。 コーラン読解のためのアラビア語研究によってバスラ派とクーファ派の文法学派が盛んになり、修辞学も発達して文学上の成果もあらわれる。文法学者としては、最初期の重要人物に『文法書』の著者シーバワイヒがいるほか、『格変化の概念』の著者イブン・ヒシャーム
文学研究
詩学においては、イブン・クタイバ( Ibn Qutaybah )が初の詩論を展開し、ハリール・イブン・アフマド( Al-Khalil ibn Ahmad )が韻律学を確立した。動物寓話『カリーラとディムナ』でも知られるイブン・ムカッファは、『アル・アダブ』 (Al-Adab al-Kab?r) という論考でアラビア語の散文文学の確立にも貢献した。バスラ派のもとで学んだアル・ハリーリーは、修辞の技巧を尽くして散文ジャンルであるマカーマの様式を完成させた。
出版事情を知る文献目録としては、9世紀のバグダードで書店を営んでいたイブン・ナディームのカタログ『目録の書』や、17世紀のオスマン帝国の文人キャーティプ・チェレビーの『書誌総覧』が貴重な史料とされている。 アラビア語は語彙や音楽的な抑揚が韻を踏むのに適しており、早くから韻律が発達し、ジャーヒリーヤ時代からも多くを受け継いでいる。古典アラビア語詩は、数十行やときには百行を超える多数の行からなり、各行は前半と後半に分かれて対句をなす。各句は開音節と閉音節で構成され、その組み合わせで基本型が定められ、やがて応用型も生まれて発展していった。詩のジャンルには、悲歌(リサー)、諷刺詩(ヒジャー)、賞賛詩(マディーフ)、武勇詩(ハマーサ)、恋愛抒情詩(ナスィーブ)、恋愛詩(ガザル)、叙景詩(ワスフ)、酒楽詩(ハムリヤート)などがある。 ウマイヤ朝を代表する詩人としては、メッカ生まれで恋愛詩を創造したウマル・ビン・ラビーア( Umar Ibn Abi Rabi'ah
詩歌
近代以降の詩人としては、アラビア語詩に影響を受けつつアメリカへ移住したハリール・ジブラーン、イラクで自由詩運動を唱えたナジク・アル・マライカ( Nazik Al-Malaika )、パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュ、シリア出身でレバノンやフランスでも活動するアドニスなどが知られる。