アラビアンナイト
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シェヘラザードシャフリヤールフェルディナント・ケラー1880年 シャフリヤールに物語を語るシェヘラザード。インド生まれの英国人画家アーサー・ボイド・ホートン(1836 ? 1875)の木版画[1]

『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、アラビア語: ??? ???? ?????‎, ペルシア語: ???? ? ?? ??‎)は、イスラム世界における説話集。英語版の題名より「アラビアンナイト」の名称でも世界的に知られる。日本では「千夜一夜物語」の他、「千一夜物語」(せんいちやものがたり)、「アラビアンナイト」の名称でも広く知られている。目次

1 概要

2 名称

3 内容

3.1 本来の夜の数と物語数そして結末


4 沿革

5 原典および翻訳

5.1 アラビア語写本

5.1.1 1704年以前の写本

5.1.2 1704年以降の写本

5.1.3 偽写本


5.2 アラビア語刊本

5.3 欧州言語の翻訳版

5.4 主な日本語訳


6 千夜一夜物語に関する事件

7 派生作品

8 出典・脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 参考文献

9.1 日本語文献

9.2 英語文献


10 関連項目

11 外部リンク

概要

ペルシャの王に妻が毎夜物語を語る形式を採る[注釈 1]枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。

サーサーン朝(ササン朝ペルシャ)時代に、ペルシャ・インド・ギリシャなど各地の民話が、公用語の中世ペルシャ語パフラヴィー語)で記され、「ハザール・アフサーナ」(ペルシア語: ???? ?????‎,千の物語)として編纂された[2]。その後、651年にサーサーン朝はイスラム教徒に征服されてイスラーム帝国が勃興する。最初のウマイヤ朝を経て、アッバース朝初期の8世紀後半に、その新都バグダードがイスラーム帝国の中心都市として整備され始めた以降、アラビア語に翻訳されて9世紀にはその原型ができた[2][3]。アラビア語の題名は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」(アラビア語: ??? ???? ?????‎,千一夜)[注釈 2]

1704年に、ルイ14世に仕えていた東洋学者アントワーヌ・ガランが、アラビア語の写本からフランス語に翻訳して「千一夜」(フランス語: Les Mille et Une Nuits)第一巻を出版した[4]。ガランの翻訳と出版をきっかけにヨーロッパ中に「千一夜」ブームが起きた。1706年に、英語版が「アラビアンナイト・エンターテイメント」(英語: The Arabian Nights' Entertainment)と名付けられて出版された[5]


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