アラスカ州知事 (アラスカしゅうちじ、Governor of Alaska) は、アメリカ合衆国のアラスカ州の州知事(政府の長)であると共に、アラスカ州兵の総司令官でもある。知事は州法を遵守する義務を負い、また州議会を通過した議案に賛成または反対する権限[1]や、州議会を招集する権限、弾劾の場合を除いて恩赦を与える権限[2]を有する。 州憲法は4年ごとに行われる州知事選挙・副知事選挙・選挙後の12月の第1月曜日に始まる彼らの任期について定めている[3]。知事は1度の再任が認められているが、連続して2期務めてから再出馬が認められるまで、4年間待つ必要がある[4]。仮に知事職が欠けた場合は、副知事が知事の称号を引き受ける[5]。 1956年の最初の憲法は州務長官(secretary of state:権能は副知事と同一)の職を設けた。同職は1970年に副知事 (lieutenant governor) に改称された[6]。 同州では10人の知事が12期を務めた。また、アラスカ準州としての長い歴史の中で、30人を超える文民・軍人が知事に就いた。ウィリアム・A・イーガン アラスカは1867年にアメリカ合衆国によってロシア帝国から購入され、同年10月18日に正式に移転した。この日は現在、「アラスカの日」として祝われている[7]。それまでは、この地はロシア領アメリカまたはロシア領アラスカとして知られており、露米会社の総督や本部長が統治していた。
概要
知事
アラスカ県司令官ジェファソン・C・デイヴィス
この広大な地域は、当初アラスカ県 (Department of Alaska) とされ、旧陸軍省(戦争省)の司法権の下で陸軍士官によって、陸軍がアラスカから撤退する1877年まで統治された。代わって財務省の税関長が、この地域における最高幹部として統治権を握った。1879年、海軍が同県の司法権の付与を受けた。[8]
アメリカ人として初のアラスカ統治者は、ポーランド系移民のヴワズィミエシュ・クシジャノフスキであったとみられている。しかし『アンカレッジ・デイリーニューズ』は、この主張を裏付ける決定的証拠を発見できなかった。[9]
代司令官就任退任 1884年5月17日、アラスカ県はアラスカ地区(District of Alaska:併合されたが、市民政府によって組織されていない領域)に再編された。知事は、アメリカ合衆国大統領によって任命された。 知事就任退任大統領
合衆国陸軍
1ジェファソン・C・デイヴィス少将(名誉昇進)1867年10月18日1870年8月31日
2ジョージ・K・ブレイディ中佐(名誉昇進)1870年9月1日1870年9月22日
3ジョン・C・ティッドボール少佐1870年9月23日1871年9月19日
4ハーヴィー・A・アレン少佐1871年9月20日1873年1月3日
5ジョーゼフ・ステュアート少佐1873年1月4日1874年4月20日
6ジョージ・R・ロドニー大尉1874年4月21日1874年8月16日
7ジョーゼフ・B・キャンベル大尉1874年8月17日1876年6月14日
8ジョン・メンデンホール大尉1876年6月15日1877年3月4日
9アーサー・モリス大尉1877年3月5日1877年6月14日
合衆国財務省
10モンゴメリー・P・ベリー1877年6月14日1877年6月13日
11H・C・デアーナ1877年8月14日1878年3月26日
12モットロム・D・ボール1878年3月27日1879年6月13日
合衆国海軍
13レスター・A・ビアズリー大佐1879年6月14日1880年9月12日
14ヘンリー・グラス中佐1880年9月13日1881年8月9日
15エドワード・P・ラル中佐1881年8月10日1881年10月18日
16ヘンリー・グラス中佐1881年10月19日1882年3月12日
17フレデリック・ピアソン中佐1882年3月13日1882年10月3日
18エドガー・C・メリマン中佐1882年10月4日1883年9月13日
19ジョーゼフ・B・コグラン中佐1883年9月15日1884年9月13日
20ヘンリー・E・ニコルズ中佐1884年9月14日1884年9月15日
アラスカ地区知事
ジョン・ヘンリー・キンキード1884年7月4日1885年5月7日チェスター・アーサー
アルフレッド・P・スウィンフォード1885年5月7日1889年4月20日グローヴァー・クリーヴランド