アラスカ地震
震源の位置(USGS)
本震
発生日1964年3月27日
発生時刻3時36分14秒(UTC)
27日 17時36分14秒(AKST)
震央 アメリカ合衆国 アラスカ州 アンカレッジの東125km
北緯61度2分24秒
西経147度43分48秒1(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯61度02分24秒 西経147度43分48秒 / 北緯61.040度 西経147.730度 / 61.040; -147.730
アラスカ地震(アラスカじしん、Great Alaskan Earthquake、アラスカ大地震)は、1964年3月27日にアメリカ合衆国アラスカ州で発生した超巨大地震。聖金曜日に発生したことから、聖金曜日地震(The Good Friday Earthquake)とも呼ばれている。 震源はアラスカ州南西部のプリンス・ウィリアム湾。太平洋プレートと北アメリカプレートの境(アリューシャン海溝付近)における海溝型地震である。観測された表面波マグニチュード(Ms)は8.4?8.6とされていたが、その後、金森博雄の推定によりモーメントマグニチュード(Mw)で9.2であることが判明し[2]、アメリカ合衆国地震観測史上最大規模となった[3]。この地震で131人が亡くなった。同年、日本で発生した新潟地震と並び、液状化現象による被害が大きく、これ以降、土質力学の分野で液状化現象が活発に研究されるようになった。 規模が大きい地震(20世紀以降・世界)順位名称発生日(UTC)規模(Mw)
概要
1チリ、バルディビア1960年5月22日9.5
2アラスカ、プリンス・ウィリアム湾
3スマトラ島・アンダマン諸島2004年12月26日9.1
東北地方太平洋沖地震2011年3月11日
5カムチャツカ半島東方沖1952年11月5日9.0
6チリ、ビオビオ2010年2月27日8.8
エクアドル・コロンビア1906年1月31日
8アリューシャン列島、ラット諸島1965年2月4日8.7
9アリューシャン列島、ユニマク島1946年4月1日8.6
アッサム・チベット1950年8月15日
アリューシャン列島、アンドレアノフ諸島1957年3月9日
スマトラ島北部2005年3月28日
スマトラ島北部西方沖2012年4月11日
規模はアメリカ地質調査所による
この地震から1年近く経過した1965年2月4日に、同じ海溝付近にあるアリューシャン諸島でMw 8.7の地震が発生している。 現地時間17時36分(UTC:3月28日 3時36分)、プリンス・ウィリアム湾近くのカレッジ・フィヨルド 131人が地震で死亡した。9人は建物の倒壊など地震による直接の被害での死者であり、106人がアラスカ内で津波の影響で死亡した。また、アラスカ外でも16人が津波の影響で死亡した。被害額は、当時の貨幣価値で3億ドルを越えた。 震源から北西に120kmの距離にあるアンカレッジが、最も大きな被害を受けた。9人の死者が記録され、この9人は地震の直接の影響での唯一の死者である。アンカレッジは津波の影響を受けなかったが、アンカレッジの繁華街は深刻な被害を受け、ターナゲン・ハイツなどといった不安定な地層の上に築かれた地区は、地滑りや崩落が相次ぎ、多くの住居施設が被害を受けた。しかし、震源から離れていたこともあり、他の地区は深刻な被害を受けることはなかった。 アンカレッジから南東に60kmの距離のクック半島 プリンス・ウィリアム湾、ターナゲン・アーム半島、それにコディアック島にあったスワード、コディアックといった港町や村は、地震と津波、それに失火による火事や地滑りなどの影響を受け、大きな被害を受けた。バルディーズは壊滅し、西に7km離れたところに再建された。チェネガ カナダでは、地震から3時間18分後に1.4mの津波がブリティッシュコロンビア州プリンスルパートを襲った。次にバンクーバー島西岸のトッフィーノ
地震
被害
アンカレッジ
アラスカ州内のその他の地区
カナダ