アラスカの歴史
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アラスカ州の地図

アメリカ合衆国の一部としてのアラスカの歴史(アラスカのれきし)は1867年に始まるが、この地域の歴史は旧石器時代 (紀元前12,000年頃) にまで遡ることができるとされている。一番早く住み着いたのはベーリング地峡を渡り、アラスカ西部に辿り着いたアジア人のグループである。コロンブスの新大陸発見以前にアメリカにいた先住民のうち、ほとんどではないにしても多くがこの地峡を渡ってアメリカにやって来た。ロシアの探検家を通じてヨーロッパとの接触が始まる頃には、この地域にはイヌイット等の様々な先住民が住んでいた。

アラスカについての文書に残る歴史のほとんどはヨーロッパによる植民にまで遡る。ロシア海軍の聖ピョートル号に乗ったデンマークの探検家ヴィトゥス・ベーリングがアラスカを「発見」したと記録されているが、先に発見したのは聖パーヴェル号に乗ったアレクセイ・チリコフであった。彼は1741年7月15日、現在のシトカ市で陸地を発見した。ロシア・アメリカ会社はすぐにカワウソの狩りを開始し、アラスカ沿岸の殖民の支援を始めたが、高い船賃がネックになって経営はうまくいかなかった。

1867年4月9日アメリカ国務長官ウィリアム・スワードが720万ドル(2005年現在の価値で9000万ドル)でアラスカを購入した。1958年7月7日大統領ドワイト・D・アイゼンハワーはアラスカを連邦に加えることを認めるアラスカ州法にサインし、1959年1月3日、アラスカは連邦の49番目の州となった。

1964年3月27日マグニチュード9.2を記録するアラスカ地震が発生し、131人が犠牲になり多くの村々が壊滅した。1968年に油田が発見され、1977年トランス・アラスカ・パイプラインが完成すると原油生産による収入で人口が増加に転じ、インフラ整備が進んだ。1989年エクソン・バルディーズ号プリンス・ウィリアム湾で流出量1100万ガロンから3500万ガロンに及ぶ原油漏れ事故を起こし、沿岸は1600キロに亘って汚染された。現在州の半分以上は連邦政府によって所有されている。豊富な資源をめぐって連邦と州との間で議論が続いているが、北極野生生物国家保護区にまつわる政治的な争いもある。
先史時代イヌイットの女性 1907年頃の写真
旧石器時代

紀元前1万6千年から1万年の間、旧石器時代の人々はベーリング地峡を渡って時折アラスカ西部に移り住んでいた。彼らの行く手を阻んでいた分厚い最終氷期が終わると消え、カナダ西部に至る回廊が現れた。やがて、アラスカはイヌイットやその他先住民が住む地域となった。今日、こうしたアラスカの先住民たちはいくつかのグループに分類されている。南西部沿岸に住む部族(トリンギットハイダ族、ティムシャン)、アサバスカン、アレウト族、そしてイヌピアット族ユピックの二つのグループである。

トリンギット、ハイダ、アサバスカンはポトラッチと呼ばれる激しい贈答の応酬を行っていた。気前の良さを見せつけるために、自分の財産の全てを投げ打ったり、壊してしまったりするのである。ポトラッチでは、家族の歴史が暗誦され、供え物が先祖に奉げられる。アレウト族の社会階級は3つに分けられていた。年長者や捕鯨の才能を持つ者たちで構成される名誉ある地位、平民、そして奴隷である。名誉ある地位の人々は死ぬとミイラにされ、奴隷がしばしば名誉のうちに殺された。彼らは棍棒弓矢を使って狩猟生活をしていた。
18世紀
ロシア領アラスカベーリング海峡で隔てられたロシアとアラスカの間の距離は85キロほどである。詳細は「ロシアによるアメリカ大陸の植民地化」および「ロシア領アメリカ」を参照

最も古い文献は、最初にアラスカに来たヨーロッパ人がロシア人であることを示唆している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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