この項目では、スペインの自治州について説明しています。そのほかのアラゴンについては「アラゴン」をご覧ください。
アラゴン州
自治州
Aragon
旗
紋章
歌:en:Himno de Aragon
アラゴン州(アラゴンしゅう、スペイン語: Aragon, アラゴン語: Aragon, カタルーニャ語: Arago)は、スペインを構成する自治州の一つである。ウエスカ県、サラゴサ県、テルエル県の3県からなる。スペイン北東部に位置し、北はフランス、東はカタルーニャ州、南はバレンシア州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、カスティーリャ・イ・レオン州、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。州都はサラゴサ。
歴史詳細は「アラゴン王国」を参照
8世紀にイスラム勢力がイベリア半島を征服すると、フランク王国はピレネー山中に多くの伯領からなるスペイン辺境領を置き、緩衝地帯とした。現在のアラゴン州に含まれる地域にはハカ(アラゴン)、ソブラルベ、リバゴルサの伯領があった。11世紀にナバーラ王サンチョ3世はカスティーリャからこの3伯領に至る大王国を築いたが、その死後に領土は分割され、1035年にラミロ1世を王とするアラゴン王国が成立し、ソブラルベとリバゴルサを併合した。
1137年、アラゴン女王ペトロニーラとバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚によって、アラゴンとカタルーニャは同君連合となった。これ以降カタルーニャもまとめて「アラゴン王国」と呼ばれるが、2つの地域では法制度や議会は別のままであった。今日では「カタルーニャ・アラゴン連合王国」とも呼ばれる。連合王国は13世紀のハイメ1世の時代にバレアレス諸島とバレンシアを征服し、シチリア王国、ナポリ王国、サルデーニャも領有して地中海帝国を築いた。
アラゴン王国のフェルナンド2世とカスティーリャ王国のイサベル1世の結婚によって、1479年にカスティーリャ王国とアラゴン王国も同君連合となった。これにより「スペイン王国」が成立したとされるが、やはり法制度や議会は別のままで、歴代のスペイン王は称号を「カスティーリャ王、ガリシア王、アラゴン王、バルセロナ伯、……」のように名乗った。カタルーニャとアラゴンがカスティーリャの法制度に組み込まれ始めるのは、18世紀のスペイン継承戦争以降である。
1978年のスペイン新憲法成立後、1982年8月16日にアラゴンの自治憲章が発効し、かつてのアラゴン王国(カタルーニャを除く)の領域にアラゴン自治州が成立した。
地理ピレネー山脈の谷間
アラゴン州の面積は47,720.25 km2であり、カスティーリャ・イ・レオン州、アンダルシア州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州に次いで17自治州中第4位である。内訳はウエスカ県が15,636.40 km2、サラゴサ県が17,274.28 km2、テルエル県が14,809.57 km2である。
州北部にはピレネー山脈がそびえる[1]。山脈の中で最も急峻な地域となっており、山脈の最高峰であるアネート山 (3,404 m) やペルディード山 (3,355 m) がある。山脈沿いには美しい風景を保った多くの谷が残されている。また、オルデサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園がある。
州の中央部は西から東にエブロ川が流れ、標高の低い地域となっている。州都のサラゴサはエブロ川沿いにある。
州の南部も標高の高い山地となっており、スペインの中で最も人口密度の低い地域の一つである。この山地はイベリコ山系と呼ばれ、エブロ川流域とスペインの中央平原を隔て、両地域の気候の違いに影響を与えている。 アラゴン州の人口推移 1900?2010 アラゴン州は3つの県によって構成されている。県と県都の名前はすべて同じである。 アラゴン州の県(2009年)[4]) アラゴン州の州都はサラゴサに置かれている。州の人口の約半分はサラゴサ(人口66万)が占めている。33のコマルカ(郡)に分けられる。人口が上位の自治体は次のとおり。
人口
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]
県と都市
県県都面積
(km2)人口
(人)人口密度
(人/km2)基礎
自治体
ウエスカ県ウエスカ15,636.40228,40914.61202
テルエル県テルエル14,809.57146,7519.91236
サラゴサ県サラゴサ17,274.28970,31356.17292
計 47,720.251,345,47328.20730
主な自治体
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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