アラウシオの戦い
キンブリ族とテウトネス族の移住の行程
ローマ軍が勝利
キンブリ族とテウトネス族が勝利
戦争:キンブリ・テウトニ戦争
年月日:紀元前105年10月6日[1]
場所:アラウシオ(フランス・オランジュ)
結果:キンブリ族、テウトネス族の勝利
交戦勢力
キンブリ族
テウトネス族 共和政ローマ
指導者・指揮官
ボイオリクス王
テウトボド王
アラウシオの戦い(アラウシオのたたかい、英語: Battle of Arausio)は、紀元前105年10月6日にローマ属州のガリア・ナルボネンシスのアラウシオ(現フランス・オランジュ)近郊で起こった、キンブリ族、テウトネス族の連合軍とローマ軍の戦いである。移住先を求め、ボイオリクス王とテウトボド王(英語版)に率いられてガリアに侵入した民族系統不明のキンブリ族とゲルマン系のテウトネス族(チュートン人)が、大カエピオと グナエウス・マッリウス・マクシムスが率いるローマ軍を全滅させた。この戦いはキンブリ・テウトニ戦争の主要な戦いであると同時に、共和政ローマにおける最大の敗北の一つとされている。この大敗に衝撃を受けたローマではガイウス・マリウスが軍制革命を進め、軍事だけでなくローマ社会そのものの大幅な変革につながった。 強国カルタゴを三度のポエニ戦争(紀元前264年-紀元前146年)で破った共和政ローマは地中海世界の大国となり、周辺勢力に対しても影響力を保ちつつそのうちの幾つかと同盟関係を構築していた。 紀元前100年より数十年前、ユトランド半島(諸説あり)を出発したゲルマン系ともケルト系とも言われるキンブリ族が、テウトネス族やアンブロネス族 ローマのコンスル(執政官)グナエウス・パピリウス・カルボは援軍を率いてノリクムに進軍したが、キンブリ、テウトネス、アンブロネスの連合軍にノレイアの戦いで敗れた。これがキンブリ・テウトニ戦争の始まりとなった。キンブリ族はガリアを目指してアルプス山脈の北側を西進し、たびたびローマ軍を破った。紀元前109年にガリア・ナルボネンシス属州に侵入したキンブリ族、テウトネス族は、執政官マルクス・ユニウス・シラヌスの軍を破った。 キンブリ族の移動によりガリアの勢力バランスが崩れ、スイスから南ドイツにかけて居住していたガリア系のヘルウェティイ族など諸部族がローマ属州になだれ込んだ。ヘルウェティイ族を構成する4支族の一つティグリニ族はライン川を越えてガリア・ナルボネンシス属州に侵入し、紀元前107年にブルディガラ(現ボルドー)付近でローマ軍を率いる執政官ルキウス・カッシウス・ロンギヌスを副将ともども戦死させるに至った(ブルディガラの戦い)。 また、諸部族の侵入と略奪に呼応してガリア都市トロサ(トゥールーズ)が反乱を起こした。連敗に業を煮やした元老院は、執政官グナエウス・マッリウス・マクシムスとプロコンスル(前執政官) クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(大カエピオ)に大軍を預けて派遣した。トロサを鎮圧した大カエピオはキンブリ族が再び侵入してくるのを現地で待ち受け、紀元前105年10月にその時が訪れた。
背景
北方の戦雲
ローマ軍の連敗