アラウィー派 (アラウィーは、アラビア語: ???????, ラテン文字転写: al-‘Alaw?ya) は、イスラーム教シーア派の一分派とされている宗教集団である[1]。ヌサイル派あるいはヌサイリー派ともいう(#名称)。信徒の居住地はシリア、トルコ南東部、レバノンに分布するが、そのうち多数はラタキア背後の山地に集中する[1][2]。
教義については信徒の限られた範囲内だけで伝えられているため、詳細が不明な点も多い[2][3]。20世紀以後にアラウィー派の啓典が外部に流出し、煽情的なかたちで暴露的な出版がなされたことにより、教義の一部が知られるようになった[3]。輪廻転生説を取り入れるなどイスラム教の中では極めて異端的な教義を持つ特殊な宗派であり、イスラム教と「異教」との境界線上にあるとする意見もある[4][5]。また、シーア派のどこから分派したかも明らかではない(後述)。基本的にコミュニティ内でのみ結婚関係をむすぶ閉鎖的なコミュニティであり、アラブ社会では伝統的に差別を受けてきた[4]。
起源・歴史や教義についてはよく分からない部分も多い。伝承では「ヌサイル」という人物によって創始されたと伝えられている[6]。この「ヌサイル」は9世紀のハサン・アスカリーとアリー・ハーディーの取り巻きであったイブン・ヌサイル(英語版)に同定されている[6]。10世紀にシリア地方に定着したが、スンナ派などから迫害を受けて海岸山脈へと逃れた。しかし、1960年代後半以降はシリア政界の中枢を占めており、哲学者のザキー・アル=アルスーズィー、大統領のハーフィズ・アル=アサド、バッシャール・アル=アサド父子をはじめとしてバアス党や軍部の有力者を数多く輩出している。そのため現代のシリアは、しばしばアラウィー派コミュニティに支配されていると見なされる[2]。2020年現在、アサド政権との関係が深い。シリアのアラウィー派人口は国民の1割強に過ぎず、シリア内戦でアサド政権が倒れれば民族浄化される危険性があるとされる[7]。 アラウィーはアラビア語で「アリーに従う者」を意味する。「アラウィー派」という名称は近代に入って以降のもので、以前は創始者とされるヌサイルにちなんで al-Nu?ayriyya(「ヌサイリー派」あるいは「ヌサイル派」)と呼ばれていた[3]。そのため日本の学界では、19世紀までのアラウィー派を「ヌサイリー派」と呼ぶ慣行がある[6]。ただし「ヌサイリー派」は、他派のムスリムから見た侮蔑的なニュアンスを伴う呼称である[3]。 なお、オスマン帝国時代のアラウィー派/ヌサイリー派には農民が多かったため、当時の「ヌサイリー」は「農民」を意味する言葉でもあった[2]。 10世紀にはシーア派の活動家ムハンマド・ブン・ヌサイル・アン・ナミーリー
名称
アラウィー派は、トルコの「アレヴィ」(トルコ語で「アラウィー(アリーに従う者)派」を意味する)と呼ばれる宗教集団と呼称が同じであることや分布地域が隣接していることからよく混同されるが、まったく別の集団である[3]。トルコのアレヴィ(アレヴィー派)とシリアのアラウィー派との関連については不明な点が多い。また「アフレ・ハック(英語版)」と呼ばれる宗教集団ともよく混同されるが、これともまったく異なる[3]。
教義アラウィー派の少年(1938年のアンティオキア)
アラウィー派はイスマーイール派・マズダク教・マニ教・キリスト教及びシリア地方の土着宗教の要素が合わさったと考えられる独特の教義を持つ。特にキリスト教からは大きな影響を受けた(後述)[4][2]。
アラウィー派では両親ともにアラウィー派の男子だけが教義を学ぶことができる。16歳以降に教義を習得し、その教義を外に漏らしたものは殺されるなど神秘主義の色彩が強い。