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この項目では、神格について説明しています。その他の用法については「荒神 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

荒神(あらがみ または こうじん)とは、日本の民間信仰において、地域台所の神として祀られる神格の一例。
概要

民俗学が報告する様々な習俗や信仰形態、地方伝承なども様々であり、極めて複雑な形成史であると考えられている。その多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと思われる。現在では純粋に神道の神として説明されるケース(後述)もあるが、それらは江戸国学以降の思弁によって竈神を定めたものとされる場合もある。
名称

猛々しくも荒々しく、霊験あらたかな神の意として「あらがみ」と呼ぶ場合もあり、厨(くりや)を守護する「こうじん」とは異なる神として区別する場合もある。時に荒神を祀る社(やしろ)を荒神殿(こうじんでん)と称したり、そこで執り行われる鎮魂舞踊、または社ないし場自体を荒神神楽(あらがみかぐら)と呼ぶケースなどが見られる。これは地域や信仰によって異なり、台所を守る神について「あらがみ」と称する例も多く、読みが一定しない[1][2][3]
信仰史

荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようである。各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。

荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある(三系統ともいう)。屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」、屋外の「地荒神」である。

屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者陰陽師などの関与により、火の神竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。

御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教道教陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。

牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教道教陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。
種類

家庭の台所で祀る三宝荒神と、地域共同体で祭る地荒神とがある。地荒神の諸要素には三宝荒神にみられないものも多く、両者を異質とみる説もあるが、地荒神にみられる地域差はその成立に関与した者と受け入れ側の生活様式の差にあったとみて本来は三宝荒神と同系とする説もある。ただし地域文化の多様性は単に信仰史の古さを反映しているにすぎないとも考えられるので、必ずしも文化の伝達者と現地人のギャップという観点を持ち出す必要はない。
三宝荒神

三宝荒神は『无障礙経』(むしょうげきょう)の説くところでは、如来荒神(にょらいこうじん)、麁乱荒神(そらんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)の三身を指す(ただし『无障礙経』は中国で作成された偽経)。後世、下級僧や陰陽師の類が、財産をもたない出家者の生活の援助をうけやすくするため、三宝荒神に帰依するように説いたことに由来している。像容としての荒神は、インド由来の仏教尊像ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊像であり、三宝荒神はその代表的なものである。不浄や災難を除去する火の神ともされ、最も清浄な場所である竈の神(台所の神)として祭られる。俗間の信仰である。

荒神の験力によると、生まれたての幼児の額に荒神墨を塗る、あるいは「あやつこ」と書いておけば悪魔を祓えると信ずる考え方がある。また荒神墨を塗ったおかげで河童(かっぱ)の難をのがれたという話も九州北西部には多い。荒神の神棚を荒神棚、毎月晦日(みそか)の祭りを荒神祓(はらい)、その時に供える松の小枝に胡粉(ごふん)をまぶしたものを荒神松、また竈を祓う箒(ほうき)を荒神箒とよんで、不浄の箒とは別に扱う。
地荒神

地荒神は、屋外に屋敷神・同族神・部落神などとして祀る荒神の総称である。中国地方の山村や、瀬戸内の島々、四国の北西部、九州北部には、樹木とか、大樹の下の塚を荒神と呼んで、同族の株内ごとにまた小集落ごとにこれを祀る例が多い。山の神荒神・ウブスナ荒神・山王荒神といった習合関係を示す名称のほか、地名を冠したものが多い。祭祀の主体によりカブ荒神・部落荒神・総荒神などとも称される。

旧家では屋敷かその周辺に屋敷荒神を祀る例があり、同族で祀る場合には塚や石のある森を聖域とみる傾向が強い。部落で祀るものは生活全般を守護する神として山麓に祀られることが多い。樹木の場合は、地主神、作神(さくがみ)であり、牛馬の安全を守るが、甚だ祟りやすいともいう。また祀る人たちの家の火難、窃盗を防ぐという。地荒神も三宝荒神と同様、毎月28日とか、正月、5月、9月の28日に祭りを行う例が多い。あるいは旧暦9月か11月かに、稲作の収穫祭のような感じをもって行われる。頭屋(とうや)制で同族や集落の家々が輪番で祭を主宰する古い祭りの形式を伝えているものがある。広島県北部や岡山県西部では、「名」という十数戸を単位として、7年や13年を単位とする式年の「大神楽」が行われ、最後に荒神の神がかりがあって託宣を聞く[4]。比婆荒神神楽や備中神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
大荒大明神

聖徳太子のブレーン・秦河勝は大荒大明神として祀られたとされる。播磨赤穂の郷土誌や世阿弥・禅竹の記す猿楽起源説などにおいても秦河勝は大荒神となったと記されてある。
仏教における荒神信仰


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