アメンホテプ3世
Amenhotep III
古代エジプト ファラオ
統治期間紀元前1386年 - 紀元前1349年、または紀元前1388年 - 紀元前1351年,第18王朝
前王トトメス4世
次王アメンホテプ4世
ファラオ名 (五重称号)
ホルス名: Kanakht khaemmaat
The strong bull, appearing in truth
ネブティ名(二女神名): Semenhepusegerehtawy
One establishing laws, pacifying the two lands
黄金のホルス名: Aakhepesh-husetiu
Great of valour, smiting the Asiatics
即位名: Nebmaatre
The Lord of Truth is Re
誕生名: Amenhotep Hekawaset
Amun is Satisfied, Ruler of Thebes
(英語版)
アメンホテプ3世(英: Amenhotep III)は、古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ(王)(在位:紀元前1386年 - 紀元前1349年、または紀元前1388年 - 紀元前1351年)。即位名はネブマアトラー。「真実の主はラーなり」の意。正妻はティイ。子はアメンホテプ4世など。
トトメス3世、トトメス4世の時代を経て絶頂に達した王国を継承した。在位期間も長く、40年近くに及んだ。アメン神を崇敬すること篤く、テーベにカルナックのアメン神殿と直結する分神殿としてルクソール神殿を建設している。このほか、同地に広大な自身の葬祭殿も建設している。葬祭殿は後に後代の王たちによって破壊されたが、メムノンの巨像と呼ばれる彼の坐像は破壊されずに残り、現在でも形をとどめている。 アメンホテプ3世のミイラは、1898年に王家の谷、KV35で発見された。元々はKV22号墓に埋葬されていたが、棺や棺の中の副葬品諸共に発見された。 ミイラの状態は普通だが、頭蓋が胴体から外れている。また、頭蓋骨の鑑定の結果、深刻な歯周病を患っていた可能性が指摘された。 また、棺の中から大量の花輪が発見されており、首に花輪を掛けた状態で埋葬されていたことが判明している。
アメンホテプ3世のミイラ
后妃・子女
妻
ティイ(ヒエログリフ: <-????->、英語: Tiye) - 第一王妃。神官イウヤとチュウヤの娘、アイの妹。
ネフェルティティ(ヒエログリフ: <-?:?:?-??????-?:?-?->) - 大神官アイ(Ay)と妻テイ
タドゥキパ(英語版)(Tadukhipa) - ミタンニ王トゥシュラッタの王女[1]。のちアクエンアテンと再婚。キヤ(ヒエログリフ: <-?:?-??->、英: KiYa)あるいはネフェルティティと同一人物とする説あり。
ギルヒパ(英語版)(Gilukhipa) - ミタンニ王シュッタルナ2世(Shuttarna II)の王女。
スィトアムン(英語版)(Sitamun) - 実の娘(母はティイ)。
イシト(英語版)(Iset) - 実の娘(母はティイ)。
子
トトメス(英語版)(Tuthmose) - 長男。プタハ大祭司。