アメリ・モレスモ
Amelie Mauresmo
アメリ・モレスモ
基本情報
国籍 フランス
出身地同・サン=ジェルマン=
アン=レー
生年月日 (1979-07-05) 1979年7月5日(44歳)
身長175cm
体重69kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2015年
ツアー経歴
デビュー年1993年
引退年2009年
ツアー通算2勝
シングルス2勝
ダブルス3勝
生涯通算成績6勝289敗
シングルス4勝227敗
ダブルス2勝62敗
生涯獲得賞金$15,022,476
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(2006)
全仏ベスト8(2003・04)
全英優勝(2006)
全米ベスト4(2002・06)
優勝回数2(豪1・英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト8(1999)
全仏2回戦(1997・98)
全英準優勝(2005)
全米3回戦(1999)
国別対抗戦最高成績
BJK杯優勝(2003)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2004年9月13日)
ダブルス9位(2006年6月26日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
銀2004 アテネシングルス
■テンプレート ■プロジェクト テニス
アメリ・モレスモ(Amelie Mauresmo, 1979年7月5日 - )は、フランス・サン=ジェルマン=アン=レー出身の女子プロテニス選手。2006年の全豪オープンとウィンブルドンで優勝し、4大大会女子シングルス2勝を挙げた選手である。WTAツアーでシングルス25勝、ダブルス3勝を挙げた。パワーテニスの代表的な選手のひとりとして知られ、独特な片手打ちバックハンド・ストロークを最大の武器にした。 モレスモは4歳の時、1983年の全仏オープンでヤニック・ノアが地元選手として優勝した試合をテレビで見たことがきっかけでテニスを始めた。そのノアに見いだされてテニスの技量を伸ばし、1996年に全仏オープンとウィンブルドンのジュニア女子シングルス部門で連続優勝を飾る。地元大会の全仏オープンには、1995年にランキング700位台であったが予選の主催者推薦で出場して勝ち上がり、本大会にも出場していた。1998年から世界の舞台で頭角を現し始める。 1999年の全豪オープンで、モレスモは世界ランキング29位のノーシードから決勝戦まで勝ち進み、大会3連覇を目指したマルチナ・ヒンギス(スイス)に 2-6, 3-6 で敗れて準優勝となった。決勝戦の直前に、ヒンギスがモレスモの私生活を中傷して「半分、男よ」とコメントしたことから、モレスモがレズビアンであることが発覚してしまう。全豪準優勝後の彼女は、長い間好不調の波の大きい選手だったが、2002年頃から世界ランキングトップ10に定着した。 2004年のアテネ五輪で女子シングルスの銀メダルを獲得。決勝ではベルギー代表のジュスティーヌ・エナン=アーデンに 3-6, 3-6 で敗れた。この後、モレスモは2004年9月13日付で、フランス人の女子テニス選手として初めての世界ランキング1位を記録した。2005年は年間最終戦の「WTAツアー選手権」決勝で同じフランスのマリー・ピエルスを 5-7, 7-6, 6-4 で破り、フランス人の女子テニス選手として初めての優勝を飾った。2006年ウィンブルドン選手権にて 2006年の全豪オープンで、アメリ・モレスモは第3シードとして7年ぶり2度目の決勝進出を果たす。決勝戦の途中でジュスティーヌ・エナン=アーデンが棄権したため(スコア:モレスモの 6-1, 2-0 で棄権)、モレスモはついに宿願の4大大会初優勝を飾った。フランス人の女子テニス選手による4大大会シングルス優勝は、2000年全仏オープンを制したマリー・ピエルス以来になる。ピエルスは1995年全豪オープンの優勝者でもあり、フランス人女性の全豪オープン制覇は11年ぶりとなった。同年のウィンブルドンで再びエナン=アーデンと決勝対決し、全仏オープン優勝者のエナンを 2-6, 6-3, 6-4 の逆転で破って初優勝。モレスモ自身にとっては4大大会の年間2冠獲得達成と同時に、フランス人の女子テニス選手として1925年のスザンヌ・ランラン(1899年 - 1938年、ウィンブルドン選手権に1920年から1925年まで6連覇を達成)以来、実に81年ぶりの優勝となった。この偉業により、モレスモは2007年にフランスのシラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与された。
来歴