「アメリカ」
サイモン&ガーファンクル の シングル
初出アルバム『ブックエンド』
B面1971年日本盤:オールド・フレンド(旧友)(Old Friends)
1972年米国盤:エミリー、エミリー
米国盤:コンドルは飛んで行く(El Condor Pasa (If I Could))
(1970年)
日本盤:バイ・バイ・ラブ(Bye Bye Love)
(1970年)米国盤:アメリカ(America)
(1972年)
日本盤:アメリカ(America)
(1971年)米国盤:エミリー、エミリー (For Emily, Whenever I May Find Her)
(1972年)
日本盤:マイ・リトル・タウン(My Little Town)
(1975年)
ミュージックビデオ
「America」 - YouTube
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「アメリカ」(America)は、サイモン&ガーファンクルの楽曲。ポール・サイモン作詞作曲。 1968年4月3日にリリースされたアルバム『ブックエンド』に収録。ロック系の曲としては珍しく、韻を踏まない歌詞が特徴となっている。 ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(ハモンドオルガン)、ハル・ブレイン(ドラム)らがレコーディングに参加。ソプラノ・サックスとクラリネットの演奏者の名前は不明。 その後、1971年に米国のみのプロモーション用で制作された「ご機嫌いかが (Keep The Customer Satisfied)」のB面に収められ[2]、次いで翌1972年に、『グレイテスト・ヒッツ
概要
この曲の歌詞には、ミシガン州サギノー、ペンシルベニア州ピッツバーグといった都市の名や、ニュージャージー・ターンパイク、グレイハウンド・バス、ミセス・ワグナーズ・パイ、ギャバジンのスーツなどへの言及が盛り込まれている。
この曲は、韻を踏まない普通の語り口のままの歌詞で、アメリカの真の意味を求める2人連れの実際の旅と比喩としての旅を描いている。歌詞が比喩するところでは、最初は希望に満ちている恋人たちが、やがて苦悩や悲しみの感覚へと転じていく。「'Kathy, I'm lost,' I said, though I knew she was sleeping」という歌詞は、サイモンが1965年にイングランドで生活していたころ関係があったキャシー・チティ(Kathy Chitty)への言及である[7]。
より、字義通りに理解すれば、この歌はニューヨークを目指し、アメリカを東へと旅する様子を描いており、サイモンが登場させる恋人たちは、ミシガン州からピッツバーグを経て、ニューヨークへとつながるニュージャージー・ターンパイクに到達する。
作者のポール・サイモンは、ソロ名義のライブでもこの曲を歌い続けており、サイモンのライブ・アルバム『ライヴ・ライミン』(1974年)[8]や『ライヴ・イン・セントラル・パーク』(1991年)[9]にも収録された。
2000年、映画『あの頃ペニー・レインと』のサウンドトラックに取り上げられた。主人公の姉アニタは、自分が家を出てスチュワーデスになった理由を、この曲をかけることで表現する。
近年のコンピレーションCDに入っているこの曲はシングル盤のバージョンを用いており、イントロ部分に雑音は入っていない。これに対し、アルバム『ブックエンド』のバージョンでは、この曲の前に入っている「わが子の命を救いたまえ (Save the Life of My Child)」と連続するつなぎの音が入っている。 1971年のチャート最高位 1972年のチャート最高位 スコットランドのプログレッシヴ・ロック・バンド、クラウズは、バンド名を改める前、1-2-3 と名乗っていた頃に、1967年にロンドンのマーキー
チャート
日本・オリコンチャート15
英・シングル・チャート[10]25
米・Billboard Hot 10097
カバー・バージョン
1-2-3/クラウズによる編曲
ポール・サイモンは、1965年にこの曲のデモテープをロンドンのレヴィ・スタジオ(Levy studios)で録音したが、そのテープが、スタジオのエンジニア(ラジオ・ルクセンブルクの Stu Francis)を介してバンドに渡ったのであった[11]。1-2-3 は、やはりこのデモテープに基づいて「サウンド・オブ・サイレンス」も演奏していた[11]。 「アメリカ」
イエスによる編曲