アメリカ_(サイモン&ガーファンクルの曲)
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「アメリカ」
サイモン&ガーファンクルシングル
初出アルバム『ブックエンド
B面1971年日本盤:オールド・フレンド(旧友)(Old Friends)
1972年米国盤:エミリー、エミリー (For Emily, Whenever I May Find Her)
リリースアルバム『ブックエンド』- 米国盤:1968年4月3日
日本盤シングル:1971年8月21日
アメリカ盤シングル:1972年
録音1968年2月1日[1]
アメリカ合衆国
ジャンルフォーク・ロック
時間3分34秒
レーベルコロムビア
作詞・作曲ポール・サイモン
プロデュースサイモン&ガーファンクル
ロイ・ハリー
年表

米国盤:コンドルは飛んで行く(El Condor Pasa (If I Could))
(1970年)
日本盤:バイ・バイ・ラブ(Bye Bye Love)
(1970年)米国盤:アメリカ(America)
(1972年)
日本盤:アメリカ(America)
(1971年)米国盤:エミリー、エミリー (For Emily, Whenever I May Find Her)
(1972年)
日本盤:マイ・リトル・タウン(My Little Town)
(1975年)

ミュージックビデオ
「America」 - YouTube


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「アメリカ」(America)は、サイモン&ガーファンクルの楽曲。ポール・サイモン作詞作曲。
概要

1968年4月3日にリリースされたアルバム『ブックエンド』に収録。ロック系の曲としては珍しく、韻を踏まない歌詞が特徴となっている。

ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテルハモンドオルガン)、ハル・ブレイン(ドラム)らがレコーディングに参加。ソプラノ・サックスとクラリネットの演奏者の名前は不明。

その後、1971年に米国のみのプロモーション用で制作された「ご機嫌いかが (Keep The Customer Satisfied)」のB面に収められ[2]、次いで翌1972年に、『グレイテスト・ヒッツ[3]』のリリースに合わせてシングル盤としてリリースされ、Billboard Hot 100 で最高97位となった[4]。一方、このシングル盤のB面に収められた「エミリー、エミリー (For Emily, Whenever I May Find Her)」は、予想外の評判を呼び、最高53位までチャートを上昇した[4]。日本では1971年8月に独自企画のシングル盤がリリースされ[5]オリコンで最高15位となり、21週間チャートインした[6]

この曲の歌詞には、ミシガン州サギノーペンシルベニア州ピッツバーグといった都市の名や、ニュージャージー・ターンパイクグレイハウンド・バス、ミセス・ワグナーズ・パイギャバジンのスーツなどへの言及が盛り込まれている。

この曲は、韻を踏まない普通の語り口のままの歌詞で、アメリカの真の意味を求める2人連れの実際の旅と比喩としての旅を描いている。歌詞が比喩するところでは、最初は希望に満ちている恋人たちが、やがて苦悩や悲しみの感覚へと転じていく。「'Kathy, I'm lost,' I said, though I knew she was sleeping」という歌詞は、サイモンが1965年イングランドで生活していたころ関係があったキャシー・チティ(Kathy Chitty)への言及である[7]

より、字義通りに理解すれば、この歌はニューヨークを目指し、アメリカを東へと旅する様子を描いており、サイモンが登場させる恋人たちは、ミシガン州からピッツバーグを経て、ニューヨークへとつながるニュージャージー・ターンパイクに到達する。

作者のポール・サイモンは、ソロ名義のライブでもこの曲を歌い続けており、サイモンのライブ・アルバム『ライヴ・ライミン』(1974年)[8]や『ライヴ・イン・セントラル・パーク』(1991年)[9]にも収録された。

2000年、映画『あの頃ペニー・レインと』のサウンドトラックに取り上げられた。主人公の姉アニタは、自分が家を出てスチュワーデスになった理由を、この曲をかけることで表現する。

近年のコンピレーションCDに入っているこの曲はシングル盤のバージョンを用いており、イントロ部分に雑音は入っていない。これに対し、アルバム『ブックエンド』のバージョンでは、この曲の前に入っている「わが子の命を救いたまえ (Save the Life of My Child)」と連続するつなぎの音が入っている。
チャート

1971年のチャート最高位
日本・
オリコンチャート15

1972年のチャート最高位
英・シングル・チャート[10]25
米・Billboard Hot 10097

カバー・バージョン
1-2-3/クラウズによる編曲

スコットランドプログレッシヴ・ロック・バンド、クラウズは、バンド名を改める前、1-2-3 と名乗っていた頃に、1967年にロンドンのマーキー(The Marquee)で「アメリカ」を演奏しており[11]、これはサイモン&ガーファンクルによるレコーディングがまだ行われていない時点における演奏であった[11]。この1-2-3による「アメリカ」のライブ演奏は録音されており、2010年発売のコンピレーション・アルバム『Up Above Our Heads [Clouds 1966-71]』で初めて公式に発表された。

ポール・サイモンは、1965年にこの曲のデモテープをロンドンのレヴィ・スタジオ(Levy studios)で録音したが、そのテープが、スタジオのエンジニア(ラジオ・ルクセンブルクの Stu Francis)を介してバンドに渡ったのであった[11]。1-2-3 は、やはりこのデモテープに基づいて「サウンド・オブ・サイレンス」も演奏していた[11]
イエスによる編曲

「アメリカ」


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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