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アメリカ連合国の国旗
用途及び属性?
縦横比5:9
制定日1861年3月4日
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アメリカ南部諸州が建国したアメリカ連合国の国旗や軍旗には以下のようなものがある。南北戦争終結以後、これらの旗が公に使われることはないが、南部の住民の中には自分達の歴史のシンボルとしてこれらの旗、特に有名な南軍旗やレベル・フラッグを使い続ける者もいる。
南軍旗はサウスカロライナ州の州議会議事堂に2000年まで翻っていた。またかつてはミシシッピ州およびジョージア州の州旗にも含まれていた。一方、アフリカ系アメリカ人や南部以外の住民の中には、これらの旗を奴隷制や有色人種差別を正当化する人々のシンボルとして忌避する者も多い。翻るレベル・フラッグ(南部海軍旗)。南部人の誇りと抵抗の象徴とも、また南部の人種差別と白人至上主義の象徴ともみなされている南部の国旗と南軍兵の記念品(ピッツバーグにあるアメリカの兵士・水兵の記念館「ソルジャーズ & セーラーズ・メモリアル・ホール & ミュージアム」の展示品)
国旗
最初の国旗『Stars and Bars』? スターズ・アンド・バーズ
最初のアメリカ連合国の旗は1861年3月5日から1863年5月まで使われ、『スターズ・アンド・バーズ』と呼ばれていた。縦横比は3:5。7つの星は連邦を離脱した7つの州、サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州をあらわす。この旗をデザインしたのはアラバマ州に住むプロイセン王国出身のドイツ系移民ニコラ・マーシャルで、そのデザインにはマーシャルになじみのあったオーストリア帝国の国旗が影響を与えている[1]。マーシャルは連合国軍の軍服のデザインも行っている[2]。
連合国臨時議会が最初に手掛けた法案の中に、国旗・国章委員会の設置があった。サウスカロライナ州のウィリアム・ポーチャー・マイルズが議長を務める委員会では、マイルズ自身も国旗案(後に南部海軍旗となる、赤字に青のX型十字の案)を抱えて臨んだが、委員会に寄せられた公衆からの声の中では、「独立戦争で掲げた古くからの合衆国旗を捨てないでくれ」という訴えが圧倒的に多かった。このため、マイルズの案よりもマーシャルの案の方が星条旗に似ているとして人気が高く、委員会もこれを国旗とすることになった[3]。
ただしこの旗は、戦場の混乱の中では、北部(アメリカ合衆国)の『スターズ・アンド・ストライプス(星条旗)』と見分けがつかなくなる重大な欠点があった。さらに、州の権利や奴隷制などを巡って北部と対立したはずの南部の旗が、結局北部の旗とそっくりなものになったことについて、「敵とそっくりな旗では戦えない、この旗は我々の心に響かない」という反対意見が制定直後から噴出していた[4][5]。円形に並ぶ星の数は南部連合に加入する州が増えるたびに増え、1861年11月には13個(ただし、ミズーリ州とケンタッキー州は州内に連合国支持層があったのみで加盟や実効支配に至らず)に増えている。
最初の国旗制定時に提案された旗
後に南部海軍旗のもととなる、ウィリアム・ポーチャー・マイルズの案
二番目の国旗『Stainless Banner』? ステインレス・バナー
連合国は星条旗との混同を避けるため、1863年5月1日より、国旗を『ステインレス・バナー』(染みのない旗)と呼ばれる旗に変更した。縦横比は1:2。明らかな変更点は、カントン(旗の左上4分の1の部分)に南軍旗(後述)のデザインを持って来て連合国旗であることを強調したことである。新たな国旗の制定に当たり、ほとんどの案が、当時よく知られ人気もあった南軍旗をあしらっていた。この中から、ジョージア州サバンナの新聞編集者で作家だったウィリアム・T・トンプソンの案が選ばれた。
「ステインレス」(染みのない、潔白の)というニックネームは、旗の大半を占める白い地に由来する。後の国旗法ではこの白い地に対して特に意味を説明しなかったため様々な解釈が生まれ、「南部人の一点の汚れも無い美徳と誇り、北部の圧制と侵略に対する独立への闘志」を意味するともされている。しかしトンプソンの最初の意図は、白は白人の白であり、「神が定めた、有色人に対する白人の優位を守るために戦う人民にとって、白い旗こそが戦う理由をもっともよく象徴してくれる」というものだった[6]。
議会で、この白い部分を赤で縁取るのがいいか、青い線を入れるのがいいかという議論が出た際、トンプソンは、白地に何かを足すことはデザインの意図に妥協を加えるものであり反対すると述べている[4]。ウィリアム・ポーチャー・マイルズも、国旗は派手で分かりやすい方がいいので南軍旗のデザインは入れるべきであろうが、同時に国旗は可能な限り簡明であるべきであるとして、トンプソンの白い旗の案を支持した[7]。自分の案が国旗に選ばれると、トンプソンは自分の新聞で、「この旗は、我々の戦う理由である『優秀な人種と高度な文明が、無知や野蛮と戦う』ということをよく表している。