アメリカ独立戦争の情報戦略
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ジョン・ジェイ。通信委員会の主要メンバー

アメリカ独立戦争の情報戦略(アメリカどくりつせんそうのじょうほうせんりゃく、: Intelligences in the American Revolutionary War)は、アメリカ独立戦争中に大陸会議イギリス軍と戦う大陸軍を支援するために供給した軍事情報に関する戦略である。大陸会議は国内の情報を扱う機密委員会、海外情報を扱う通信委員会、愛国者の活動の中でスパイを監視するスパイ委員会を創設した。
組織
機密委員会

機密委員会(Secret Committee)は1775年9月18日の第二次大陸会議決議で創設された。しかしこの委員会は本当の情報機関ではなく、別に設けられた機密通信委員会(後述)とともに、主に軍需物資を隠密裏に獲得し配給することと大陸会議が雇った私掠船に火薬を売ることに関わっていた。機密委員会は公式の認可無しに大陸会議の特定メンバーが交渉した武器や火薬の秘密契約を統一基準で取り扱い管理もしていた。機密委員会はその商取引の機密を守り、信用を維持するために記録の多くを破壊した。

機密委員会は機密通信委員会と協同で海外から職員を雇った。王党派の秘密の弾薬店に関する情報を集め差し押さえる様に手配した。南部植民地ではイギリス軍への補給物資を差し押さえるための派遣も行った。仲買業者を通じて軍需品店から購入し、買い手が大陸会議であることを伏せておく手配をした。時にはイギリス海軍から船を守るために外国の旗を使うこともあった。

大陸会議のメンバーは、自分達の中で最も影響力の大きく責任感の強い者を機密委員会の委員に指名した。例えば、ベンジャミン・フランクリンロバート・モリスロバート・リビングストンジョン・ディッキンソントマス・ウィリングトマス・マッキーンジョン・ラングドンサミュエル・ウォードである。
(機密)通信委員会

外国の情報収集や外国の協力を得る必要性を認識し、通信委員会(すぐに機密通信委員会と改称)が、1775年11月29日の第二次大陸会議決議で創設された

決議; イギリスおよび世界の他の地域にいる我らの友人と通信することを唯一の目的として5人の委員会を指名すること、および、指示あるときは大陸会議にその通信文書を提出すること

決議; 大陸会議はこの通信を行うためのすべての費用、および委員会が通信を行うために通信員を派遣する費用を負担すること

最初の委員会メンバー、すなわちアメリカで最初の海外情報機関員はベンジャミン・フランクリン、ベンジャミン・ハリソン、およびトマス・ジョンソンであった。続いて、バンカーヒルの戦いの後でスパイ容疑でイギリス軍に逮捕された教師ジェイムズ・ラベルが指名された。ラベルは後にイギリス兵士捕虜と交換され、大陸会議の代議員にも選ばれた。委員会の中でラベルは符号暗号のエキスパートとなり、アメリカ暗号解読の父と呼ばれるようになった。

委員会は海外で秘密情報員を雇い、秘密工作を行い、符号と暗号を工夫し、情報宣伝活動を行い、私信の開封を認め、情報分析用に海外出版物を購入し、文書配達制度をつくり、大陸海軍とは別に海上輸送能力を維持し、アメリカに同情的な英国人やスコットランド人との定期的な通信を行った。1775年12月には、フラマン商人を装ったフランスの情報機関員とフィラデルフィアで秘密に会合した。

1777年4月17日、機密通信委員会は外務委員会と改称したが情報機能はそのままであった。外交的な事項は別の委員会または大陸会議そのものが扱った。1781年1月10日、外務省、後のアメリカ合衆国国務省のさきがけが創設され、「外国事情に関する広く有益な情報を獲得すること」を任務とし、その長官は「有益な情報を受け取ることが可能と思われるあらゆる人物」との通信を許可された。
スパイ委員会

1776年6月5日、大陸会議はジョン・アダムズトーマス・ジェファーソンエドワード・ラトリッジジェームズ・ウィルソン、ロバート・リビングストンを指名して、「敵に情報を渡す者、あるいは敵に物資を供給する者を取り扱うための適当なる手段を考案すること」を指示した。委員会メンバーは大陸軍に対するスパイ行為に関する軍法を修正した。この問題は緊急の課題であった。大陸軍の医長であったベンジャミン・チャーチ博士がイギリス軍の諜報員として捕らえられ収監されていたが、市民のスパイ行為に関する法が未だ無かった。ジョージ・ワシントンは現行法では抑止力のある刑罰が与えられないと考えていた。1775年11月7日には軍法にスパイ行為の最高刑が死刑と加えられたが、遡及的には適用されなかったのでチャーチ博士は刑の執行を免れた。

1776年8月21日、委員会のレポートが大陸会議で検討され、最初のスパイ法が成立した。

決議; アメリカ合衆国の一員ではない者あるいは忠誠を誓わない者であって、6月29日大陸会議の決議に述べられる、合衆国の軍隊またはそれに順ずるものの防衛・宿営に関してスパイ行為を働いているとわかった者は、諸国の法に従い軍法会議の判決によって死刑または軍法会議の指定する量刑を課される。

さらに1778年2月27日、「軍の規則と軍法の目的に記されるべき」法が追加され、敵が独立革命の兵士を捕獲または殺害することを幇助する情報活動を行った「この国の住人」にまで適用を拡大された。
技法
機密および保護

機密通信委員会は、情報員の資金調達と指示に関する事項は委員会の中で処理されるべきと主張した。委員会メンバーに「大陸会議にその手順を提出すること」としていたが、大陸会議は決議によって「雇用した者あるいは通信を行っている者の名前を伏せること」を承認した。1776年5月20日に委員会の手順が、特別の個人名を除いて、大陸会議に報告されたが、これは「機密の差し止め命令のもと」であった。大陸会議は外国情報や外国の連携・軍事事項に関する機密保持の必要性を認識し、公開の刊行物とは切り離して、「機密刊行物」にそれらの決定事項の記録を取った。


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