アメリカ海兵隊航空部隊
United States Marine Corps Aviation
海兵隊航空団のエンブレム
創設1912年5月22日
所属政体 アメリカ合衆国
所属組織 アメリカ海兵隊
上級単位海兵隊司令部
アメリカ海兵隊航空部隊(かいへいたいこうくうぶたい、英語: United States Marine Corps Aviation)は、アメリカ海兵隊の航空部隊。理想的には6つの能力(強襲支援 (Assault Support) 、対航空機戦、攻撃航空支援、電子戦、航空機とミサイルの管制、航空偵察)を提供する[1]。
パイロット・整備員ともに海兵隊員として基本的な歩兵の訓練を受けた後、航空団の訓練課程に入る。 海兵隊航空部隊の端緒は、1912年5月22日のアルフレッド・カニンガム
概史
戦間期には、ハイチ、ドミニカ共和国、ニカラグアにおけるバナナ戦争や、中国における国外作戦の支援などが行われた[2]。1922年に海軍が「ラングレー」を就役させて航空母艦の運用に着手すると、その艦上での運用能力も取得した[3]。この時期、アメリカ海兵隊は水陸両用作戦を重視した態勢の整備を進めており[3]、1939年には「海兵隊航空部隊は、主たる任務として上陸作戦および野戦において艦隊海兵軍を支援し、従たる任務として空母艦載機の代替となるものである」と規定された[6]。
海兵隊航空部隊は、13個飛行隊・航空機204機を擁した状態で太平洋戦争に突入し、戦争中には、空母部隊を補完して占領島嶼に対する日本軍の反撃阻止と増援輸送遮断および近接航空支援(CAS)を行った[3]。特に近接航空支援については、バナナ戦争中より既に能力の涵養が図られていたが、戦争での経験を通じて、その戦術・戦技が開発・定型化されていった[2]。島嶼に設営した飛行場に加えて、地上戦闘地域の沖合至近距離まで進出できる空母の特性を活用することで、F4U艦上戦闘機による発艦後15分程度でのきめ細かい航空支援が可能となっていた[3]。
大戦終結時には103個を擁した飛行隊も、終戦後の動員解除のなかで多くが解役され、1950年の朝鮮戦争勃発時には16個に減少していたが、開戦直後から早速2個飛行隊のF4Uが護衛空母艦上に展開して、釜山橋頭堡の戦いにおいて航空支援を担った[3]。またこれに先立つ1947年にはジェット機の運用を開始しており、朝鮮戦争では地上基地にも展開して作戦を展開したほか、ヘリコプターによるヘリボーン戦術など、新しいタイプの航空機の活用にも積極的であった[2]。特にヘリボーンについては、陸軍から航空機の運用を引き継いだ空軍の関心が薄かったこともあり、アメリカ軍においては、陸軍自身がヘリコプターの運用を活発化させるまで、海兵隊航空部隊が主導的な立場をとることになった[7]。
ベトナム戦争において、1965年からアメリカ軍による地上戦と北爆が本格化すると、海兵隊航空部隊は南ベトナムなどの地上基地に展開し、同国全域およびラオスにおける近接支援を実施した[3]。