アメリカ沿岸警備隊
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アメリカ合衆国沿岸警備隊
United States Coast Guard

沿岸警備隊の紋章

沿岸警備隊のサービスマーク
組織の概要
設立年月日

1790年8月4日(税関監視艇部)

1915年1月28日(沿岸警備隊)

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財務省税関監視艇部

財務省人命救助部

財務省灯台局

財務省蒸気船検査部

財務省航海局


種類沿岸警備隊
本部所在地 アメリカ合衆国ワシントンD.C.マーチン・ルーサー・キング・ジュニア通り2703番南東 ダグラス・A・マンロー沿岸警備隊本部ビル
標語常に備えあり
(Semper Paratus)
人員44,500人(現役隊員)
7,000人(予備役)
31,000人(補助隊員)
8,577人(文官)
上位組織国土安全保障省
ウェブサイトwww.uscg.mil

アメリカ合衆国沿岸警備隊(アメリカがっしゅうこくえんがんけいびたい、英語: United States Coast Guard, USCG)は、アメリカ合衆国沿岸警備隊である[1]連邦政府の法執行機関であり、アメリカ軍の6つの軍種の1つ。アメリカ合衆国に8個ある武官組織の1つでもある。

アメリカ軍の一部であるが、国防総省ではなく国土安全保障省に属し、隊員4万2190名、予備役7899名、文民8722名、補助隊員3万2156名を擁する。航空機197機、カッター巡視船)84隻、その他巡視艇など多数の船艇を運用する[2]
所掌

合衆国法典第14編では、沿岸警備隊の主な任務を下記のとおりに定めている[1][3]

公海及び合衆国の管轄が及ぶ水域上、水面下及び上空におけるあらゆる連邦法の執行又はその支援

法の執行又はその支援のための海上対空監視又は阻止行動

海洋における生命及び財産の保全を推進するための法の適用並びに規則の公布及び執行

海上航路標識等の設置

国際合意に基づく砕氷活動

海洋調査

戦時に海軍の特別部局として機能するための準備態勢の維持

軍との関係

USCGは国防総省の機関ではないが、常設の軍の組織として、防衛準備態勢を維持している[4]合衆国法典第10編[5]では、陸海空宇宙軍・海兵隊と並び、USCGもアメリカ合衆国軍であることが示されている[1]

アメリカでは、陸海空宇宙軍・海兵隊には民警団法 (PCA) [6]による明示的な許可なき法執行活動の禁止等の規制が課せられているが、USCGは、この規制対象とはなっていない[7]。文民法執行機関との軍事協力法(Military Cooperation with Civilian Law Enforcement Agencies Act)等により、法的根拠が与えられて、USCGに軍が支援を行う場合はある。また、宣戦布告に際し、大統領の命令がある場合には海軍の一部門となり、一般的にPCAの対象となるが、その場合は合衆国法典第14編102条による法執行機関としての明示があり例外適用となる[8]
歴史
税関監視艇部の創設

独立直後のアメリカは、初代財務長官となったアレクサンダー・ハミルトンの構想に基づき、関税酒税連邦政府の二大収入源としていた。またその関税についてアメリカ国籍船を優遇することで、独立戦争で極端に弱体化した商船隊の復興を図っていたことから、関税の徴収・密輸取締りは国家の重要課題であった。このことから、まず第1議会の第1会期中の1789年7月31日財務省傘下に税関監視艇部 (United States Revenue Cutter Service) が設置され、続く第2会期中の1790年8月4日には、武装したカッター10隻の建造と財務省による優先使用、特別捜査官100名の配備が可決された。これらの要員・船艇は1791年より任務を開始し、後のUSCGに至る系譜の端緒となった[9]

税関監視艇部は、当初はその名の通りに税関監視など連邦歳入法の執行を主任務としていたが、1831年、新任のルイス・マクレーン財務長官の命令に基づいて任務が拡大されて、合衆国沿岸での捜索救難が追加され、1837年12月22日の法改正によって公式の規定となった。また19世紀末の航海法の施行によって船舶の所有権関係や海上での船舶立入検査などの業務が増大したほか、1870年頃からはプリビロフ諸島でのアザラシ保護、1908年にはアラスカ州での狩猟法執行権限が付与されるなど、総合的な海上保安機関へと発展していった[9]。また独立戦争時の大陸海軍は1785年までに解体されていたことから、1798年擬似戦争を期に海軍が再編成されるまで、税関監視艇部がアメリカ唯一の洋上実力組織であり[10]、1799年には、有事の際には大統領の命令によって海軍長官の指揮下に入ることが定められた[11]。擬似戦争や1812年の米英戦争にも従軍している[9]

また1843年には、財政緊縮のため、税関監視艇部を廃止して監視艇を海軍に編入することも検討されたが、これは商務委員会の反対によって実現せず、逆に、従来は各地の税関長の指揮下にあった監視艇隊の指揮系統を一括化する税関監視艇局 (Revenue Marine Bureau) が設置されるなど、中央集権化が図られた[11]
その他の海上保安組織の創設

アメリカの発展に伴い、税関監視艇部のほかにも、海上保安を担当する連邦政府機関が設置されるようになっていった。税関監視艇部の設置が可決されたのと同じ第1議会第一会期中の1789年8月7日には、従来は各植民地が担当してきた灯台等の航路標識の維持管理を連邦管轄に移すことが決議され、やはり財務省に灯台局 (United States Lighthouse Service) が設置された。議会や当局の決断不足もあり、同局はRevenue Marine、Bureau of Lighthouseと改称を繰り返し、また上部組織も財務省から商務・労働省、商務省と変遷が続いたものの、1939年7月1日、フランクリン・ルーズベルト大統領の大統領令によってUSCGに編入された[9]

19世紀の造船・航海技術の発達に伴い、これらの監督官庁も整備されていった。特に蒸気船の発達は海運に一大変革をもたらしていたが、黎明期には特にボイラーに問題があり、蒸気船の普及とともに爆発・火災事故が多発するようになっていった。1832年には、当時運航していた蒸気船の14%が爆発事故で損壊し、1000名以上の死者を出す事態となっており、また1837年にはルイジアナ州で「ベン・シェロッド」、ノースカロライナ州で「プラスキ」と大規模な蒸気船爆発事故が立て続けに発生した。これらの事態を受けて、1838年7月7日、連邦議会は蒸気船の定期検査制度の立ち上げを決議し、財務省にそのための蒸気船検査部 (Steamboat Inspection Service) を設置した。また1884年7月5日には、航海法の適用について監督する航海局 (Bureau of Navigation) も設置された。1932年、航海局と蒸気船検査部は合併したが、1942年3月1日には再度分割されて、航海局は古巣にあたる財務省関税局へ戻る一方、蒸気船検査部はUSCGに編入された。また航海局も、1946年にはUSCGに移管された[9]


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