アメリカ正教会(アメリカせいきょうかい、英: Orthodox Church in America、略称OCA)とはアメリカ合衆国、カナダ、メキシコを管轄する独立正教会で、アラスカがロシア帝国領のころロシア正教が1794年に伝えられたことに起源を持つ。本部は聖ニコラス大聖堂(ワシントンD.C. 座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度55分30秒 西経77度04分07秒 / 北緯38.9249度 西経77.0686度 / 38.9249; -77.0686)にある。
本部がある米国内には集会が551、修道院が19あり、信者数は84,900人で、その内33,800人が常時教会へ通っている。[1]集会数が多い州は、アラスカ州(86)、ペンシルベニア州(83)、カリフォルニア州(43)、ニューヨーク州(41)の順である。
なお、本部がある米国で正教会を広くカバーする組織には、他に「在外ロシア正教会」、「在米国ギリシャ正教会」などもある。 1794年にアラスカへロシアから伝えられた正教がアメリカの正教伝道のはじまりであり、当初はその流れの継続としてロシア系の教区が設置されていた。アメリカ正教会はその直系にあたるが、時を経た現在ではロシア系にとどまらない、民族の枠を越えた伝道活動・教会運営を行っている。初期の伝道・教会運営に当たった主教達の中からは聖人が輩出された。アラスカのゲルマン
沿革
19世紀後半に起きた大きな出来事のひとつに、米国中西部の東方典礼カトリック教会が周りのローマ・カトリック教会の一部の大司教から特に神父が妻帯していることに関して異質の目で見られて、時には迫害を受けたので、東方典礼カトリックの司教アレクシス・トス(英語版)が多くの人々を正教会へ導いて移動した。[2]
1960年、米州においてこうした分離状態にある相互の教区同士で、正教会としての一致を図る事を目的として、米州カノン的合法正教会常設主教会議が設立され、各教会・教区の主教が定期的に会合を持った[3][4]。同会議は、北中米カノン的合法正教会主教会議に承継された。
1970年に独立正教会位を認めるトモスがモスクワ総主教庁・ロシア正教会から与えられた。この時、姉妹教会の関係にあった日本正教会にも自治正教会位が認められた。ただしそれぞれの独立正教会位・自治正教会位はコンスタンディヌーポリ総主教庁からは承認されていない。
独立正教会としてのアメリカ正教会の確立、および正教会がいくつかの教会に分かれている問題の解決を目指し尽力した神学者として、長司祭アレクサンドル・シュメーマンがいる。
主教区と主教所在州「w:List of the dioceses of the Orthodox Church in America」を参照
主教区(東から西へ)とそれぞれの主教所在州を次に示す。 [5]
ニューイングランド主教区 - 主教所在州:マサチューセッツ州
ニューヨーク・ニュージャージー主教区 - ニューヨーク州
ペンシルバニア東部主教区 - ペンシルベニア州
ペンシルバニア西部大主教区 - ペンシルベニア州
ワシントンD.C.大主教区 - ワシントンD.C.(聖ニコラス大聖堂 (ワシントンD.C.))
中西部主教区 - イリノイ州(至聖三者大聖堂 (シカゴ))