アメリカ横断ウルトラクイズ
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この項目では、テレビ番組全般について説明しています。

各大会の詳細については「アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細」をご覧ください。

本番組のクイズ形式については「アメリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式」をご覧ください。

本番組を題材にしたコンピュータゲーム作品については「アメリカ横断ウルトラクイズ (コンピュータゲーム)」をご覧ください。

アメリカ横断ウルトラクイズ
第1回 - 第8回で決勝戦が行われたメットライフ・ビル(当時の名称はパンナムビル)
ジャンルクイズ番組 / 特別番組
企画山崎将暉(第1回 - 第7回)
総監督佐藤孝吉(第1回 - 第5回)
白井博(第6回 - 第10回)
加藤就一(第11回 - 第15回・“今世紀最後”)
※共に総合演出
出演者高島忠夫
石川牧子
福留功男
徳光和夫
福澤朗
渡辺正行
ほか(出演者を参照)
オープニングメイナード・ファーガソン「スタートレックのテーマ(Theme From Star Trek)」
(第3回 - 第15回・“今世紀最後”)
製作
プロデューサー高橋靖二(第12回 - 第16回)
篠崎安雄(第12回・第13回)
城朋子(“今世紀最後”)
※全てCP
製作日本テレビ

放送
音声形式MONO放送
放送国・地域 日本
放送期間1977年10月20日 - 1998年11月23日
放送枠木曜スペシャル枠(第1回 - 第16回)
放送分90/120分
回数17
特記事項:
正式な番組名は第16回まで『史上最大!第○回 アメリカ横断ウルトラクイズ』(第1回は回数表記なし、タイトル末尾に『!!』がつく)、1998年は『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』。
放送期間は第1回第1週から第17回第2週まで。
審査委員長や大会委員長などのスタッフについては主なスタッフを参照。
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『アメリカ横断ウルトラクイズ』(アメリカおうだんウルトラクイズ)は、日本テレビ系列1977年から1992年と、1998年の全17回開催・放送された視聴者参加型クイズ番組。略称は「ウルトラクイズ」あるいは「ウルトラ」。

英語表記は"TRANS AMERICA ULTRA QUIZ"である。なお、タイトルロゴには"TRANS AM ULTRA QUIZ"と表記された。

1977年昭和52年)、『木曜スペシャル』枠で日本テレビ開局25年記念番組として放送された。翌年からレギュラー化し、年に1回制作、毎年10月下旬から12月上旬頃に放送された。番組名は『史上最大!第○回 アメリカ横断ウルトラクイズ』(第1回は回数表記なし)。1992年平成4年)の第16回を最後に終了となったが、1998年(平成10年)日本テレビ開局45年記念番組『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下「“今世紀最後”」と記す)として一度限りの復活を果たした。

番組名の「アメリカ」とはアメリカ大陸という意味であり、アメリカ合衆国(米国)のみを指したものではない。
概要

日本各地から集まった挑戦者たちが「知力、体力、時の運」を合言葉に、広大なアメリカ大陸を横断しながら1,000問以上に及ぶクイズに挑戦し、ゴールのニューヨーク市を目指す番組[1]。企画段階での名称は「世界をバスで横断・ジャンボクイズ大会」であり[2][3]、最初はアジアを横断して、敗者はその場で置いて行くというアイデアだけだったが、「でっかくいこう」ということで、アメリカ横断という企画に変わった[3]。また、本番組の総合プロデューサー、審査委員長を務めた佐藤孝吉は、他のクイズ番組にもありがちな、頭の良い者が普通に勝っていくだけの番組になるのを嫌い、体力系クイズも取り入れたり、予選でジャンケンでアメリカ合衆国行きを決めたりするなど、新しい試みを採用し、また敗者によりスポットが当たる番組にしようと考えた[3]

旅の途中「チェックポイント」と呼ばれる各地で、風土や名所などに合ったクイズを行い、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進み、敗れると現地で厳しい罰ゲームを受けた後、日本へ強制送還される。数々のチェックポイントを勝ち抜き、ニューヨーク(第9回はパリ、“今世紀最後”は西インド諸島)には各回2名(第11回は3名)が進出し、ここで最後のクイズを行い、優勝者「日本一のクイズ王」を決定した。

他のクイズ番組とは異なり、18歳以上(第11回までは45歳以下・第12回から第16回までは50歳以下・“今世紀最後”は上限なし)でパスポートを所持していれば、オーディションなしで誰でも番組に参加可能であった(高校生は不可。高専生は4年生から可。他にも細かい規定があった)。

1987年(昭和62年)に第24回ギャラクシー賞特別賞[4] と第4回ATP賞優秀賞を[5]、翌年には第25回ギャラクシー賞25周年記念特別賞ユーモア賞を受賞[6]ギネス・ワールド・レコーズ(ギネスブック)には「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」として記載された。

2014年6月にCSのファミリー劇場で初めて第12回が再放送され(ただしCMと提供クレジットの部分は全部カットされ、第4週の第9チェックポイント・サンパウロのクイズ本編にも、一部カットされた箇所がある)、また進行役だった小倉淳が関係者をゲストに迎え、放送当時を振り返るオリジナル番組「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」(全3回)も制作された(この「史上最大!第12回アメリカ横断ウルトラクイズ&今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」は、スカパーJSAT主催の「スカパー!アワード2014」にて「ココロ動いた番組賞」を受賞した[7])。このほか、第10回と“今世紀最後”については横浜市にある放送ライブラリーで視聴することができる。なお、日本テレビでは、オンエアテープ以外の映像資料については、同社が旧社屋(麹町)から汐留社屋に移転した際、新社屋にアーカイブの保管場所がないとの理由で全て破棄したため現存していないという[8]

番組タイトルが出る場面のファンファーレはMFSB「Zach's Fanfare #2(ザックのファンファーレ #2)」の終盤の部分、番組のテーマ曲はメイナード・ファーガソン「Theme From Star Trek (スタートレックのテーマ)」に「The Cheshire Cat Walk(チシャ猫のウォーク)」の終わりの部分を組み合わせたもの。
番組の移り変わり

番組初期(1977年(昭和52年)-1985年(昭和60年))は、日本国外へ脱出できた挑戦者の大半が海外旅行初体験であったが、番組開始年の1977年には年間315万人強だった日本人の海外旅行者数が、番組末期の1990年代には番組開始時の3倍を超える年間1000万人超となり[9]、時代の変化とともに海外旅行が庶民にも比較的容易に手に入る娯楽となったことで、相対的に挑戦者たちの驚きの価値は下がっていった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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