アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}アメリカ横断ウルトラクイズ > アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細(アメリカおうだんウルトラクイズのかくたいかいのしょうさい)では、日本テレビで放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』の各大会の詳細について記述する。

この項目で述べる地名およびクイズ名称の表記は、番組内での表記に従うものとする。「CP」は「チェックポイント」の略記。

実際の大会では実施されたが放映されなかったクイズ(どろんこクイズの勝者決定戦など)や、席順決めのためのクイズ、3位決定戦、勝敗に無関係なクイズ(敗者予想クイズなど)は割愛する。また、各クイズの参加・通過人数は放送上でのものであり、実際とは異なる場合がある。

「決勝戦の結果」は放送上のポイントであり、実際と異なる場合がある[1]。また、名前の順はテレビの画面通り。

決勝戦進出者・機内1位・その他の参加者の氏名、年齢、職業は特記がない限り開催当時のものであり、現在のものではない。

各挑戦者にある番号は、参加したときのネームプレートに書かれた番号を指す(第1回のみネームプレートではなく、ペーパークイズの勝ち抜け者を発表する時に使われた番号)。

その他の参加者については、出場回数や成績に関わらず、様々な面で大会を沸かせたり、視聴者やファンに強い印象を残した人物を挙げていく。

第1回(1977年(昭和52年))[ソースを編集]

日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。

スタジオパートの石川牧子アナウンサーは、この回のみ肩書は「アシスタント」であり、また第2週では国内リポーター(敗者の味方)・徳光和夫アナウンサーがこの回のみメイン司会・高島忠夫と共に「総合司会」であった。そのスタジオでは観客100名に対し、アメリカ本土上陸を果たした10名の挑戦者からクイズ王を予想し、正解者に賞金10万円プレゼントが行われた。

第一次予選の会場として押さえたのは、読売ジャイアンツの練習が始まる前の後楽園球場ということで、午前中に終わらせなければならず、挑戦者は午前9時集合厳守であった。しかし午前8時頃になっても集まっていたのはわずか8人ほどで、急遽挑戦者を集めるために当時隣接していた後楽園競輪場の客に向けて、拡声器で参加を呼び掛けたほどだった[2]

また、この第一次予選が行われた9月4日は、読売ジャイアンツの王貞治が後楽園球場で通算756号本塁打の世界記録を達成した翌日のことであった。

各チェックポイントで行われたクイズの大半が早押しクイズであった。当時は成田空港(新東京国際空港、現・成田国際空港)が未開港で、第二次予選は羽田空港(東京国際空港)で行われた。羽田からグァムへはパンアメリカン航空が使用された。

×はこの回の第一次予選のみ「ペケ」と呼称されていた。「バツ」と言う様になったのはグァムの敗者復活戦からである[3]

第一次予選の通過者は「80名」と歴代では最も少なく(100名を切ったのは唯一)、ジャンケンもこの回のみ「4勝先取」、「機内ペーパークイズ」も800問と多かった。またこの回のみ「優勝旗」が無い代わりにトロフィーが贈呈され、優勝したクイズ王は各CPの通過で使う「勝抜けメダル」を首に掛けていた。

各チェックポイントでの勝者と敗者の場所に掲げられていた看板は、この回のみ白地に「おめでとう 次は○○」「さようなら 東京直行」の文字が青で書かれていた。青地に白文字で書かれたボードが登場するのは次回から。

各回のエンディングクレジットでは、この回のみ「制作 日本テレビ」の部分にはマーク(当時は○にNTVの文字が書かれていたもの。初代)が一切無かった(「日本テレビ」の「日」と地球をイメージした2代目のマークを採用したのは翌年から)。

関東地区での『ビッグサタデー』内の再放送は後述の通り第3回からだが、第1回は翌1978年10月14日と同年同月21日の2週にわたって、第2回の宣伝を兼ねて『ビッグサタデー』で再放送、「放送翌年に通常形態で再放送」という珍しい形式だった。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}第1CP第2CP第3CP 第1CPから第3CPまで第4CP第5CP第6CP第7CP第8CP決勝 第4CPから決勝まで

CP地名
会場クイズ
第一次予選後楽園球場
一塁側内野スタンド○×札上げクイズ
人数:404→80
通過条件:規定人数決定まで勝ち残り
罰ゲーム:―
第二次予選羽田空港
羽田東急ホテルジャンケン
人数:78※1→40
通過条件:4本先取
罰ゲーム:―
第1CP東京→グァム
太平洋上空機内800問ペーパークイズ
人数:40→31
通過条件:上位30位まで
罰ゲーム:―
第1CP東京→グァム
機内同点決勝
○×札上げクイズ
人数:2→1
通過条件:サドンデス
罰ゲーム:―
第2CPグァム
ヒルトンホテル前○×札上げクイズ
人数:30→17
通過条件:規定人数決定まで勝ち残り
罰ゲーム:―
第2CP
敗者復活戦グァム
グァム国際空港内カウンター前○×札上げクイズ ※2
人数:7→3
通過条件:サドンデス
罰ゲーム:―
第3CPハワイ
ワイキキビーチ沖の双胴船アイカネ3号上1対1早押しクイズ
人数:20→10
通過条件:3ポイント先取。-3ポイントで失格
罰ゲーム:小舟に乗ってワイキキビーチまで帰る
第4CPサンディエゴ
シーワールド・サンディエゴインスピレーションクイズ
人数:10→6
通過条件:5ポイント獲得
罰ゲーム:シャチとキス
第5CPフェニックス
サグアロ灼熱の早押しクイズ
人数:6→5
通過条件:3ポイント獲得
罰ゲーム:ヒッチハイク※3
第6CPダラス
フェンダーパーク牧場早押しクイズ
人数:5→4
通過条件:3ポイント獲得
罰ゲーム:猛疾走する馬に乗って帰国
第7CPニューオルリンズ
ナッチェス号船上ミシシッピ川クルーズ早押しクイズ
人数:4→3
通過条件:5ポイント獲得
罰ゲーム:ビックリ箱(現地では行わず、スタジオで行われた※4。)
第8CPアトランタ
ストーンマウンテン公園インスピレーションクイズ+早押しクイズ
人数:3→2
通過条件:7ポイント獲得
罰ゲーム:インディアンショーの生け贄
決勝ポイントニューヨーク
パンナムビル屋上早押しクイズ
人数:2→1
通過条件:10ポイント先取
罰ゲーム:―


※1:2名出場辞退。

※2:直前の○×クイズの最終問題での失格者7名のみ参加。

※3:タクシーをヒッチハイクしたものの、タクシードライバーは耳が遠く、その上銃を突きつけられるが、実はドッキリ。

※4:クイズ会場で号泣しまくったため、会場での罰ゲームは免除。その後、クイズ王・松尾や準優勝者・藤原と共に日本テレビスタジオに現れ、福留から「4位賞」を授与されたが、それがびっくり箱だった。

決勝戦進出者

クイズ王 : 松尾清三京都府出身・No.15・38歳・機内1位)800問中712点。立命館大学出身、材木店経営。優勝時の年齢は最年長であり、決勝進出者全員の中で唯一の戦前(1938年)生まれ、かつ司会の福留(当時35歳)より年齢が上でもあった。関西地区収録のクイズ番組を中心に参加し、数多くの優勝歴も持っていた[4]。クイズ本番前に歌い出したり口笛を吹くといったマイペースぶりを見せており、フェニックス以降2位通過で決勝へ進出した。再挑戦は第7回・第12回と、当時の『ウルトラクイズ』上限時のみ(前者は45歳、後者は50歳)だったが、第11回準決勝ではゲスト「ミスターX」として登場し、彼との勝負に勝てば決勝進出というクイズ形式が採られた。その際、芸能人に関する問題[5] を自分の娘に近い年齢の挑戦者に正解され、芸能人に関する情報は都はるみで止まっていると告白。後年は幾多の大型クイズ番組に出場している。2024年5月24日死去、85歳没[6]

準優勝 : 藤原滋子[7]愛知県出身・No.74・27歳・機内8位(女性2位))800問中613点。クイズ番組優勝歴を多数持っていた実力者[4]。グァムで敗者復活。本土上陸後はフェニックス以外は全てトップ通過で決勝へ進出した。後に結婚して「五島」と改名、『史上最大の敗者復活戦』で関西予選に参加した事もあった。

決勝戦の結果 : (松尾…桃)+10 VS +3(藤原…緑)

その他の参加者.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

優勝賞品

ラスベガスの土地1エーカー砂漠のど真ん中・1226坪分)

テレビ放送(全2週)

第1週…1977年昭和52年)10月20日:サンディエゴまで

第2週…1977年10月27日:「西部の大混戦」

放送時間は双方とも19:30 - 20:54(JST)。以後第7回までこの時間で放送。
第2回(1978年(昭和53年))[ソースを編集]

『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。準決勝のクイズ形式がボストンの地元紙アクトン・ミニットマンに掲載される[8] など、アメリカでも話題になった。

今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになり、「○×走りクイズ」が初登場した。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題されたが、その第1問と続く第2問が「群集心理」により「片方(不正解側)が1人、もう片方(正解側)が残り全て」というハプニングが起きたため、次回の第3回で「○×ボール」を登場させることになる。

前回では、徳光は第二次予選だけの担当だったが、今回より(第4回を除き)第一次予選も担当する様になった。ただしこの回だけはピコピコハンマーで殴らせず、素手などで叩かれた。

成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移され、ジャンケンも「3勝先取」に縮小、以後このルールとなる。その一方で機内ペーパークイズは前回より減ったものの、「500問」とまだ多い方であり、またペーパークイズ時のCP名称も通常は「東京→グアム(サイパン)と双方の場所を表記するのに対し、この回だけは「サイパンへ」だった。アメリカ合衆国本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった(サンフランシスコ初上陸でもある)。

クイズにバリエーションを出し始めるものの、その後の本番組の原型になるようなものはリレークイズが初登場以外まだそれほどなかった。今大会より「機内クイズ」の判定機、通称「ブーブーゲート」が初登場している。

決勝戦では、日本にいる挑戦者の親族(成田のジャンケンの会場で待機)と国際電話を用いた音声のみの衛星中継を行った。そして今大会から「優勝旗」が登場した。

成田→グァム間を移動する際に使用する航空会社がパン・アメリカン航空からコンチネンタル・ミクロネシア航空に変更された。第1CP第2CP第3CP 第1CPから第3CPまで第4CP第5CP
↓←第6CP第7CP第8CP第9CP第10CP決勝 第4CPから決勝まで

CP地名
会場クイズ
第一次予選後楽園球場
球場内グラウンド○×クイズ
人数:700→100
通過条件:規定人数決定まで勝ち残り
罰ゲーム:―
第二次予選成田空港
成田エアポートレストハウスジャンケン
人数:100→50
通過条件:3本先取
罰ゲーム:―
第1CPサイパンへ
太平洋上空機内500問ペーパークイズ
人数:50→40
通過条件:上位40位まで
罰ゲーム:―
第2CPサイパン
ガラパン マイクロビーチ○×札上げクイズ
人数:40→7
通過条件:規定人数決定まで勝ち残り
罰ゲーム:船を漕いで空港へ向かう
第2CP
敗者復活戦サイパン
サイパン国際空港内ロビーカルタクイズ ※1
人数:25→13
通過条件:1ポイント獲得。お手付き2回で失格
罰ゲーム:―
第3CPハワイ
ホノルル カピオラニ・パーク記憶力クイズ
人数:20→10
通過条件:3ポイント獲得
罰ゲーム:自転車タクシー「ペディー・キャブ」の運転手が客席に乗り、敗者が自転車タクシーを漕いで空港に向かう


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:446 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef