アメリカ教育使節団報告書(アメリカきょういくしせつだんほうこくしょ、英: Report of the United States Education Mission to Japan)は、連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団による報告書である。
1946年(昭和21年)3月5日と7日(第一次)、1950年(昭和25年)8月27日(第二次)に来日した。1946年(昭和21年)3月30日に第一次報告書を、1950年(昭和25年)9月22日に第二次報告書を提出した。この報告書に基づき、戦後の学制改革が実施された。その際日本側も、多くの著名な知識人・文化人が協力している。 第一次教育使節団報告書は、学制の公布に際する『太政官布告』(「披仰出書」、1872年)や1890年(明治23年)の『教育勅語』と共に、近代日本の教育の基礎である「大和魂」や「八紘一宇」などの教化を目的とした国史、修身、地理といった教科を廃止し、教育を民主化する提案がなされた。 メンバーは以下の27名である[1]。
第一次教育使節団報告書
主要な提言
日本の教育の目的および内容
アメリカ流の民主制教育の導入
個人の自由と尊厳を守る。
中央統制の画一的教育をやめる。
教育行政を担う文部省(現在の文部科学省)の権限削減を目的として、都道府県と市町村に公選制の教育委員会を設置することを勧告。
国定教科書の廃止
国史、修身、地理の停止。
アメリカの社会科の導入の勧め。
初等教育行政および中等教育行政
公教育での男女別学から男女共学への移行、小学校6年間・中学校3年間という義務教育課程の9年間への延長
後期中等教育課程としての高等学校3年間を合わせた6・3・3制の導入。
国語改革
国語である日本語の表記文字について、漢字・ひらがな・カタカナを廃止しローマ字のみとする(国語国字問題、ローマ字論も参照)。
教授法と教師養成教育
教員の能力向上のため教員養成を師範学校から大学へ格上げ。
教育委員会とPTAの導入。
保健体育、公衆衛生の教育
第一次教育使節団
ジョン・N・アンドルウス(John N. Andrews) - 使節団軍部渉外関係官
ハロルド・ベンジャミン(Harold Benjamin
ゴードン・T・ボウルス(Gordon T. Bowles) - 下院議員
レオン・カルノフスキー(Leon Carnovsky
ウィルソン・コムプトン(Wilson Compton
第一次教育使節団に協力するために日本側で組織された委員会。使節団の帰国により任務を終了し解散した。ただし、発足当初から常置委員会とすることが覚書で示されており、1946年(昭和21年)8月、実質的な後継組織である教育刷新委員会が、内閣直属の諮問機関として設置された[2]。
メンバーは以下の29名[3]。
山極武利