アメリカ合衆国による宣戦布告
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フランクリン・ルーズベルト大統領対日宣戦布告に署名している(1941年12月8日

この項目では、アメリカ合衆国による宣戦布告(アメリカがっしゅうこくによるせんせんふこく)について記述する。

宣戦布告は、各国の政府が相手国との戦争状態が存在することを示唆する正式な宣言である。アメリカ科学者連盟の文書には、アメリカ合衆国が宣戦布告する際に適用される法規の広範囲の一覧と要約が掲載されている[1]

アメリカ合衆国憲法第1条第8節において、「アメリカ合衆国議会が戦争を宣言する権限を持つべきである」とされるが、その節には宣戦布告する際に法律がどのような形式をとるべきか規定されておらず、憲法自体も「宣戦布告」という用語を使用していない。第1巡回区控訴裁判所(英語版)[2]は、Doe v. Bush(イラク戦争を巡る、匿名の市民と時の大統領ジョージ・W・ブッシュとの間の係争)において、10月決議(英語版)の条文自体が戦争の正当化と承認の枠組みを詳しく説明していると述べ[3]、事実上、戦争の宣言には議会の承認で事足りるとし、一部の人から議会による正式な宣戦布告と見なされるものは、憲法により義務付けられていないとされた。

アメリカ合衆国が他国に対して宣戦布告したのは、1942年に枢軸国のハンガリー、ブルガリア、ルーマニアに対するものが最後であり、フランクリン・ルーズベルト大統領は正式な宣戦布告なしに他国と戦争するのは不適切であると考えていた。
歴史

アメリカ合衆国では、大統領による事前の要求に基づいて5度の戦争で宣戦布告が行われ、そのうち4度では、戦闘が始まってから行われた[4]ジェームズ・マディソンは、1787年のフィラデルフィア憲法制定会議において、急襲を撃退する武力を行政から切り離し、議会による明確な承認なしに開戦しないように、「戦争を仕掛ける(make war)」という語句は「戦争を宣言する(declare war)」に変更されたと報告した[5]。この点において、法的に大統領の権限が及ぶ範囲について議論が続けられた。外国の戦争への参戦に対する一般人の反対の声が、特に1930年代において、宣戦布告する際に国民投票を必要とする憲法の修正条項への支持という形で表され[6]、Ludlow Amendmentといったいくつかの修正条項が提案された。

1971年1月に連邦議会がトンキン湾決議(英語版)[7]を廃止した後に、リチャード・ニクソン大統領が戦争続行を決めると、連邦議会は、大統領の権限を抑制するための戦争権限法を大統領の拒否権を覆して可決した。この法律により、議会により認可された戦争を続行するための大統領の権限が禁じられている[8]
宣戦布告
正式

アメリカ合衆国が正式に行った宣戦布告の一覧である。アメリカ合衆国が2回以上宣戦布告したのはドイツだけである(オーストリア=ハンガリー帝国に対する宣戦布告と合わせてハンガリーに2度以上宣戦布告したとする解釈もあり得るが)。

第二次世界大戦において、日本軍が1941年12月7日に真珠湾攻撃を行い、それぞれアドルフ・ヒトラーベニート・ムッソリーニが率いるナチス・ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告したため、アメリカもまた宣戦布告した[9][10]

戦争宣戦布告相手国日付採決大統領結果
上院下院
米英戦争対英宣戦布告(英語版) イギリス1812年7月18日19?1379?49ジェームズ・マディソンガン条約(1814年12月24日)
米墨戦争対墨宣戦布告(英語版)[11] メキシコ共和国1846年5月13日40?2173?14ジェームズ・ポークグアダルーペ・イダルゴ条約(1848年2月2日)
米西戦争対西宣戦布告 スペイン王国1898年4月25日42?35310?6ウィリアム・マッキンリーパリ条約(1898年12月10日)
第一次世界大戦対独宣戦布告 ドイツ帝国1917年4月6日82?6373?50ウッドロウ・ウィルソンノックス=ポーター決議(英語版)(1921年7月)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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