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出典検索?: "アメリカン航空77便テロ事件" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年7月)
アメリカン航空77便テロ事件
American Airlines Flight 77AA77便の事故機 N644AA(中国語版より、1995年3月にロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港で撮影)
出来事の概要
日付2001年9月11日
概要ハイジャック
現場 アメリカ、バージニア州ペンタゴン
乗客数58 (ハイジャック犯5人含む)
乗員数6
負傷者数0
死者数64 (全員)
生存者数0
機種ボーイング757-223
運用者 アメリカン航空
機体記号N644AA
出発地 ダレス国際空港
目的地 ロサンゼルス空港
地上での死傷者
地上での死者数125
地上での負傷者数106
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アメリカン航空77便テロ事件(アメリカンこうくう77びんテロじけん、American Airlines Flight 77)は、2001年9月11日に起きた、旅客機を狙ったハイジャック事件である。また、アメリカ同時多発テロ事件でハイジャックされた旅客機の内の1機でもある。
事件にあった旅客機は、ボーイング757-223(機体記号N644AA、1991年製造)のアメリカン航空77便で、犯人たちの計画通り、ワシントンD.C.の郊外、バージニア州アーリントンにあるペンタゴンに激突し、機体は原形を留めないほど大破した。
事件後に、犯人はアルカイダと判明した。事件発生日の日付9月11日は1941年にペンタゴンが着工された日であった。この事件により189人(77便の乗員6名、乗客58名、ペンタゴンの125名)が死亡、106人がけがをした。
テロリストアメリカン航空77便の航路
犯人は全員、サウジアラビア人。
ハーニー・ハンジュール - 操縦担当
ハリード・アル=ミンザール
マージアド・ムーカド
ナワーフ・アル=ハーズミー
サリーム・アル=ハーズミー
ナワーフ・アル=ハーズミーとサリーム・アル=ハーズミーは兄弟である(ナワーフが兄、サリームが弟)。
事件当日のアメリカン航空77便
使用機材:ボーイング757-223(機体記号N644AA、1991年製造)
フライトプラン:ワシントン・ダレス国際空港発、ロサンゼルス国際空港行き
乗員乗客:64名
運航乗務員
機長:チャールズ・バーリンゲーム(51歳)
副操縦士:デイビッド・シャルルボワ(39歳)
事件の概要激突の瞬間
乗客58名・乗員6名が搭乗した77便は、午前8時51分から8時54分の間にかけて完全にハイジャックされた。ハイジャック直後に向きを北に変え、すぐに南へ転回した。
午前8時56分、飛行機のトランスポンダーのスイッチが切られた[1]。犯人はワシントンD.C.のある東の方角に向けてオートパイロットをセットした[2]。
最初の針路離脱から3分間(08:50:51まで)は、管制官と機長による正常な通信があったが、その後は通信不能となった。ペンタゴンへの激突の間に、2人の搭乗者が地上にいた仲間と電話で連絡を取っていた。
午前9時29分に、ハイジャック犯はオートパイロットを解除し、手動制御に切り替えた[3]。
77便はアーリントン国立墓地に隣接する海軍補助施設の上を530マイル毎時(853 km/h、237 m/s、もしくは460 ノット)の速度で飛び[4]09:37:46にバージニア州アーリントン郡のペンタゴンに西側から突入した[5]。機体はペンタゴンの1階に衝突し[6]、衝突の瞬間僅かに左に回り、右翼が持ち上がった[7]。機体は爆発し大破した。激突の瞬間は、周辺の監視カメラなどによって撮影されており、また目撃者も大勢いた。映像によると、ほぼ水平の状態で地面を滑走しながら、勢いよくペンタゴンに衝突していた。一般的な離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。当時、ペンタゴンの突入階の半分が改装工事中で使用されていなかった。もし改装工事中でなければ、犠牲者数はWTCのそれを上回っていたと推測される。現場
10時10分、ペンタゴンのうちの被害を受けた部分から上の階が崩壊した[8]。崩壊した部分は最も広い場所で95フィート (29 m)、最も深い場所で50フィート (15 m)にもなった[8]。衝突から崩壊までの時間が、4階と5階にいた全員が崩壊の前に安全に避難することに繋がった[9]。崩壊の後、内部の火の勢いは激しくなり、建物の全フロアに拡がった[10]。アメリカン航空77便のボイスレコーダーの残骸
航空機の残骸の様々な部品がペンタゴンの内部から見つかった。ブラックボックスは3日後の9月14日に発見された。このうち、ボイスレコーダー(CVR)は大破しており、中のテープが完全に焼け焦げていたため再生不可能に終わった。一方、フライトレコーダー(FDR)のメモリースティックは無事に回収された。
また、突入時の映像が2006年5月16日に公開された[11][12]。