アメリカン航空11便テロ事件
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アメリカン航空11便テロ事件
American Airlines Flight 11アメリカン航空11便の飛行経路
ハイジャックの概要
日付2001年9月11日
概要テロリストによる自爆テロ目的のハイジャック
現場 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度42分43.63秒 西経74度0分47.48秒 / 北緯40.7121194度 西経74.0131889度 / 40.7121194; -74.0131889座標: 北緯40度42分43.63秒 西経74度0分47.48秒 / 北緯40.7121194度 西経74.0131889度 / 40.7121194; -74.0131889
乗客数81(ハイジャック犯5人を含む)
乗員数11
負傷者数0
死者数92(全員)
生存者数0
機種ボーイング767-223ER
運用者 アメリカン航空
機体記号N334AA
出発地 ローガン国際空港
目的地 ロサンゼルス空港
地上での死傷者
地上での死者数約1600
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アメリカン航空11便テロ事件(アメリカンこうくう11びんテロじけん、American Airlines Flight 11)とは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロで実行された一連のハイジャックの1つであり、アメリカン航空11便がニューヨークワールドトレードセンターのノースタワー(1号棟)に突入した事件である。

被害に遭った旅客機は、アメリカン航空のボーイング767-223ER機体記号N334AA)で、事件当時はアメリカン航空11便として運航されていた。同便は、ボストンローガン国際空港からロサンゼルス国際空港へ向かうアメリカ国内線の定期旅客便であった。

離陸後15分を経過したころ、アルカイーダの5人のテロリストによって同機は乗っ取られた。ハイジャック犯は少なくとも3人を死傷しながらコックピットを制圧し、飛行機の操縦免許を持っていたハイジャック犯の1人が操縦した。そして針路を変えてニューヨークマンハッタンに向かい、8時46分、ワールドトレードセンターのノースタワー(1号棟)の94階から98階付近に激突した。

機体はタワー内に完全に突入し、大規模な火災が発生した。衝突の衝撃と火災により建物の構造上の強度が低下し、突入から102分後にタワーが崩壊した。これにより、事故機の乗員乗客92人全員が死亡しただけでなく、ワールドトレードセンターにいた多数の人々が巻き込まれて死亡した。
テロリスト

モハメド・アタ(国籍:エジプト) - 操縦担当

アブドゥルアズィーズ・アル=オマリー(国籍:サウジアラビア

ワイル・アル=シェフリ(国籍:サウジアラビア)

ワリード・アル=シェフリ(国籍:サウジアラビア)

サタム・アル=スカミ(国籍:サウジアラビア)

ワイル・アル=シェフリとワリード・アル=シェフリは兄弟である(ワリが兄、ワリードが弟)。
事件の経過
事件当日のAA11便事件当日にAA11便として飛行したボーイング767型機(機体記号N334AA)。2001年4月8日 マンチェスター空港において撮影。

アメリカン航空11便(以下、AA11便と表記)は、アメリカ合衆国の国内定期旅客便で、マサチューセッツ州ボストンジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港からカリフォルニア州ロサンゼルスロサンゼルス国際空港へ向かうアメリカ大陸横断路線であった。機材はボーイング767-223ERで、機体記号は「N334AA」、1987年に初飛行した機体であった[1]

当該機はファーストクラスビジネスクラスコーチクラスの3クラス制で定員は158人であった[2]。この日は2人の運航乗務員と9人の客室乗務員、そしてハイジャッカー5人を含め81人の乗客が搭乗していた[3]。過去3か月間において火曜日のAA11便の平均搭乗率は39パーセントであったのに対し、この日の搭乗率は約51パーセントであり普段よりも乗客は多かった[2]。AA11便の機長はジョン・オゴノウスキ(50歳)、副操縦士はトム・マクグィネス(40歳)であった[3]
出発まで9月11日の朝、ポートランド国際ジェットポートの保安検査場で防犯カメラが捉えたアタ(青いシャツ)とオマリー。

攻撃の首謀者であるモハメド・アタと、犯行メンバーの1人であるアブドゥルアズィーズ・アル=オマリー(英語版)は、2001年9月11日の午前5時40分(東部夏時間 (EDT)、以下同じ)、メイン州ポートランドポートランド国際ジェットポートに到着した[4]。2人は、ボストン経由ロサンゼルス行きの航空券を所持しており、ポートランドからボストンまではコルガン・エア5930便、そこからAA11便に乗り継ぐ予定だった[4]。彼らはポートランドでAA11便の航空券も受け取ろうとしたが、係員に拒否された[4]。アタは激しく怒り抗議したが、ボストンでチェックインするよう係員から求められたため、まずボストン行きの5930便に搭乗した[4]。この時、アタは手荷物を2点預け、オマリーは荷物を預けなかった[4]搭乗手続きの際にコンピュータ支援型旅客事前スクリーニングシステム(英語版) (CAPPS) がアタの手荷物を追加検査するよう指示したものの、特に問題は見つからず彼らはそのまま搭乗した[5]

5930便はポートランドを定刻の6時に離陸し、6時45分にボストンのローガン空港に到着した。残り3人のハイジャッカーワリード・アル=シェフリ(英語版)、ワイル・アル=シェフリ(英語版)、サタム・アル=スカミ(英語版)も6時45分にローガン空港に到着し、乗ってきたレンタカーを空港駐車場に駐めた[6]。この頃、同時多発テロの犯行メンバーの一人でユナイテッド航空175便 (以下、UA175便と表記) の乗っ取りを担当していたマルワン・アル=シェヒ(英語版)も同じローガン空港にいた[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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