アメリカン・ロコモティブ
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American Locomotive Company
ALCOの製造銘板 (1945年)
元の種類民間企業
業種鉄道車両,発電機
前身リスト



Brooks Locomotive Works

Cooke Locomotive & Machine Works

Dickson Manufacturing Company

Manchester Locomotive Works

Pittsburgh Locomotive and Car Works

Rhode Island Locomotive Works

Richmond Locomotive Works

Schenectady Locomotive Works


設立1901年 (123年前) (1901)
解散1969年 55年前 (1969)
本社ニューヨーク市、米国
事業地域全世界
製品戦車,自動車,ディーゼルエンジン,発電機, ディーゼル電気機関車,高品質鋼,特殊鍛造品,蒸気機関車
子会社Montreal Locomotive Works
Rogers Locomotive Works

アメリカン・ロコモティブ(American Locomotive Company )はアメリカ合衆国ニューヨーク州スケネクタディに本社を置いていた鉄道車両(機関車)メーカー。しばしばアルコ(ALCO )の略称で呼ばれる。
歴史1911年のバージニア州リッチモンドの工場

1901年、以下の小規模な機関車製造会社が合併して設立された(括弧内は本社所在地)。

ブルックス・ロコモティブ・ワークスニューヨーク州ダンケルク)

クック・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークスニュージャージー州パターソン

ディックソン・マニュファクチュアリングペンシルベニア州スクラントン

マンチェスター・ロコモティブ・ワークス(ニューハンプシャー州マンチェスター

ピッツバーグ・ロコモティブ・アンド・カー・ワークス(ペンシルベニア州ピッツバーグ

ロードアイランド・ロコモティブ・ワークス(ロードアイランド州プロビデンス

リッチモンド・ロコモティブ・ワークス(バージニア州リッチモンド

スケネクタディ・ロコモティブ・ワークス(ニューヨーク州スケネクタディ)

新しく設立された会社の本社はスケネクタディに設置され、結局、他の工場は閉鎖された。

1904年カナダにあったをロコモティブ・アンド・マシン・カンパニー・オブ・モントリオールを買収し、モントリオール・ロコモティブ・ワークス(MLW)とした。後述のとおり、のちにアルコが車両の製造を止めた後もアルコの設計した車両の製造を継続した。翌1905年にニュージャージー州パターソンに本社を置くロジャーズ・ロコモティブ・ワークスを傘下に入れ、ボールドウィンに次ぐ2番目に大きな機関車製造会社になった。

1906年ゼネラル・エレクトリック(GE)とともに電気機関車を製造。

1924年、電装品の供給をGEから、ディーゼルエンジンの供給をインガソールランドから受け、電気式ディーゼル機関車の製造を開始(60トンボックスキャブ機)。

1929年、エンジン製造会社のマッキントッシュ・アンド・シーモア・ディーゼル・エンジンを買収。

1940年、GEとアメリカン・ロコモティブは販売部門を統合。名義は「ALCO-GE」となる。

1953年、GEはアメリカン・ロコモティブとの協業を廃止し、単独でディーゼル機関車の製造を開始。以後、急速にアメリカン・ロコモティブの脅威となっていくが、GEからの電装品供給は続いていた。

1956年、通称だった「アルコ」を正式な会社名に採用、Alco Pruducts(アルコ・プロダクツ)となる。センチュリー・シリーズ開発。

1964年、ウォーシントンがアルコを買収。ただし、運営は独立して行われる。同年、ウォーシントンはカナダでMLWの株を買い進めた。1967年にはMLW株の52%を取得。その間、1966年、ウォーシントンのカナダ子会社がMLWの子会社となり、1968年にはMLWウォーシントンとなった。

1967年、アルコの親会社であるウォーシントンはスチュードベーカーと合併し、ウォーシントン・スチュードベーカーとなった。

1969年、アルコは機関車製造から撤退。設計全般をMLWに譲渡した。
蒸気機関車

アルコは合衆国において2番目に大きな機関車製造会社で75000輌以上の機関車を生産した。同社の機関車はユニオン・パシフィック鉄道、デラウェア鉄道、サザンパシフィック鉄道で支持された。アルコは車軸配置4-6-4のニューヨーク・セントラル鉄道のハドソンや車軸配置4-8-4のナイアガラをニューヨークセントラル鉄道向けに、車軸配置4-6-6-4チャレンジャーをユニオン・パシフィック鉄道向けに製造する等、各社の代表的な機種を製造した。アルコは多数の大型機関車を製造し、その中にはユニオン・パシフィック鉄道のビッグボーイも含まれる。

ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車(ビッグボーイ)

野戦鉄道用に作られたナローゲージのアルコ製機関車

国鉄3400形蒸気機関車

国鉄8900形蒸気機関車

自動車

1906年、アルコは多角化の一環として、当時普及が進みつつあった自動車製造に進出した。フランスのBerliet社の設計した車種をライセンス生産した。生産はロードアイランド機関車工場で行われた。2年後、ライセンスが失効したので、同社は独自に設計した車両の生産を始めた。アルコの自動車は1909年、1910年にヴァンダービルト杯で優勝し、1911年にはインディ500にも参戦した。しかし、販売は苦戦した。1913年、自動車の製造を断念する。

アルコの自動車の物語において特筆すべきは工場責任者として自動車の経歴を始めたウォルター・クライスラーである。彼は1911年にビュイックに移り、後に自動車業界の大物になるクライスラーを創業する。

Alco car by American Locomotive

1912 ALCO

An Alco winning the 1910 Vanderbilt Cup.

電気式ディーゼル機関車アルコRS-3型ディーゼル機関車

蒸気機関車の製造で強固な地位を築いていたにもかかわらず、1924年、ゼネラル・エレクトリック(GE。電気機器を供給)とインガソールランド(en:Ingersoll-Rand、ディーゼルエンジンを供給)と提携してアルコは初めて商業的に成功を収めた電気式ディーゼル機関車を生産した。この機関車はセントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーへ売られ、類似の機関車がロングアイランド鉄道とシカゴアンドノースウェスタン鉄道を含む多数の鉄道会社へ売られた。

1929年、アルコは、エンジン製造会社のマッキントッシュ・アンド・シーモア・ディーゼル・エンジンを買収。


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