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ABC
形態テレビジョン・ネットワーク
ラジオ・ネットワーク(廃止)
国 アメリカ合衆国
スローガンThe Only Place To Be (唯一の場所)
所有者独立(NBCから分割, 1943年 - 1953年)
ユナイテッド・パラマウント・シアターズ
(1953年 - 1965年)
独立(1965年 - 1985年)
キャピタル・シティーズ
(1985年 - 1996年)
ウォルト・ディズニー・カンパニー
(1996年 - 現在)
代表者等エドワード・ノーブル
ロバート・イーガー
アン・スウィーニー
デヴィッド・ウェスティン
ポール・リー
ジョージ・ボーデンハイマー
開局1943年10月12日(ラジオ)
1948年4月19日(テレビ)
旧名NBC ブルー・ネットワーク
映像形式480i (16:9 SDTV)
720p (HDTV)
系列リスト:
ABC加盟局の一覧
公式サイトabc.go.com
アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(American Broadcasting Company、略称: ABC)は、 ウォルト・ディズニー・カンパニーのディズニー・エンターテインメントの一部門であるディズニー・ゼネラル・エンターテイメント・コンテンツが運営する、アメリカの多国籍民間放送テレビネットワークである。本社は、カリフォルニア州バーバンクのリバーサイド・ドライブにあり、ウォルト・ディズニー・スタジオの真向かい、ロイ・E・ディズニー・アニメーション・ビルディングに隣接している。また、ニューヨークのアッパーウエストサイド、西66丁目77番地にある放送センターには、ニュース部門の本部があり、同ネットワークの副拠点となっている。
テレビ放送は1948年に開始した。ABCは職員数ではなく、収入額で世界最大の放送局である。ABCはかつての3大テレビネットワーク、のちにFOXを加えた4大テレビネットワークの一つで、その放送番組はアメリカの大衆文化に大きく貢献した。本社はニューヨーク・マンハッタンの西66丁目、アッパーウェストサイドに所在する[1]。ニュース部門の拠点も西66丁目である。娯楽番組のオフィスはカリフォルニア州バーバンクに所在し、ウォルト・ディズニー・スタジオおよびウォルト・ディズニー・カンパニー本社に隣接している。
本社前の通りには、ABCニュースで長らくキャスターを務めたピーター・ジェニングスをしのび、ピーター・ジェニングス・ウェイと名付けられている。
ABCの正式名称は American Broadcasting Companies, Inc. (アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーズ・インク)であり、社内ネットワークの版権情報および会社の給与明細を含む全ての公文書に記載される。 ABC Inc. (以前の Capital Cities/ABC Inc.)はABCの直接の親会社であり、オーナーはディズニーである。「ABC」はアルファベットの最初の3文字であることから、ネットワークはしばしば「アルファベット・ネットワーク Alphabet Network」とも呼ばれる。
同じくABCを略称に用いる日本の朝日放送グループホールディングス(及び傘下の朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ、前身の朝日放送の英称Asahi Broadcasting Corporationから)や、オーストラリアのオーストラリア放送協会(Australian Broadcasting Corporation)との関係は特にない。なお、区別のため本局を「米ABC放送」と表記することもある[2]。
日本ではフジテレビジョンと業務提携している。 真のラジオネットワークが組織された1920年代後半から、アメリカ合衆国におけるラジオ放送は、CBSと、RCAの子会社であるNBCの2社によって支配された。 RCAは1926年のNBC創立以前に、当時AT&Tの子会社であったニューヨークのラジオ局・WEAF
歴史
創設
3年におよぶ調査の後、1940年5月に連邦通信委員会 (FCC) は「Report on Chain Broadcasting」と言うレポートを発行した。このレポートでは「NBCレッド、NBCブルー、CBS、MBSがアメリカの放送界を支配している」とし、それらの「分離」を提案、RCAに一つのネットワークの売却を要求した。
NBCレッドは最大のラジオネットワークで、主に娯楽番組と音楽番組を放送していた。加えて多くのレッド系列が大出力で明瞭な局であり、全国的に聴取されていた。NBCブルーは主にニュース番組および教養番組を放送しており、それらの大半が「サスティニング・プログラム」、つまりスポンサーなしであった。他の調査結果でFCCはRCAがNBCレッドに対する競争を抑圧するのにNBCブルーを使用したと主張した。FCCはネットワークを直接規制したり、認可したりはしなかったが、そのレポートは個々の局に対する認可に影響を及ぼすかもしれなかった。結果としてFCCは「複数のネットワークを保持するネットワークに属する標準的な放送局に、免許は付与しない。」と決定した。NBCはこの間接的なスタイルの規制は違法であると主張し、裁判に訴えた。しかしながら裁判はFCCの勝利となり、NBCは1942年1月8日にレッドとブルーの分離を決め、ブルーを売却することとした[3]。
RCAはNBCブルー売却の任務をマーク・ウッズに託した。1942年から43年にかけてNBCレッドとNBCブルーはそれらの資産を分割した。ブルーの価格は800万ドルに決定し、ウッズは購入する見込みのある者を見て回った。それらの中に投資銀行のディロン・リードがあり、750万ドルの申し入れがあった。しかしながらウッズとRCA社長のデヴィッド・サーノフは800万ドルの価格を固守した。NBCブルーの資産は地上通信線のリース権およびニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴ、ロサンゼルスのスタジオ施設、約60の系列下のタレントとの契約、「ブルー」に関連づけられた商標と人々の好感(グッドウィル)、3つの放送局(ニューヨークのWJZ、サンフランシスコのKGO、シカゴのWENR)へのライセンスが含まれた。
RCAは最終的に、エドワード・ノーブル(ライフセーバーズキャンディおよびレックスオールのドラッグストアチェーンのオーナー)にNBCブルーを売却することとなった。放送局のライセンスを移管するに当たって、ノーブルは所有するニューヨークのラジオ局、WMCAを売却しなければならなかった。FCCのヒアリングでノーブルはマーク・ウッズを社長としてとどめるという意思を示したため、論争が生じた。それはウッズが彼の元雇い主とともに(そしてそのために)働き続けるという提案に至った。これにはネットワークの売却に狂いが生じる可能性があった。ヒアリングの間、ウッズは新しいネットワークはアメリカ労働総同盟に放送時間を販売しないと発言した。ノーブルは同様の点に関してNABコードの後ろに隠れることで質問するのを回避した。