この項目では、1960年から1969年にかけて存在したアメリカンフットボールのプロリーグについて説明しています。その他の用法については「アメリカン・フットボール・リーグ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
アメリカン・フットボール・リーグ
American Football League
最新シーズン・大会:
1969年のAFL
競技アメリカンフットボール
創立1959年 (65年前) (1959)
開始年1960年
参加チーム8 (1960-1965)
9 (1966-1967)
10 (1968-1970)
国 アメリカ合衆国
最終年1970年にNFLに吸収合併
最終優勝カンザスシティ・チーフス
最多優勝カンザスシティ・チーフス/ダラス・テキサンズ (3回)
アメリカン・フットボール・リーグ(英語: American Football League、略称:AFL)は、かつてアメリカ合衆国に存在したアメリカンフットボールのプロリーグである。
同名のリーグは過去に何度か存在したが、最も有名なものは1960年から1969年にかけて存在し、1970年にライバルであるNFL(National Football League)と合併したリーグである。当記事ではこのリーグについて述べる。 1959年、ラマー・ハント(ダラス・テキサンズ→カンザスシティ・チーフス創設者・オーナー)が、当時NFLのフランチャイズがなかったダラスにチームを誘致しようとしたがNFLオーナーの反対に遭い、同じく石油王だったバド・アダムス
歴史
当初、ボストン、ニューヨーク、バッファロー、ミネアポリス、ヒューストン、ダラス、デンバー、ロサンゼルスの8都市にフランチャイズを置く予定だったが、NFLがミネアポリスのオーナーに働きかけ、フランチャイズを与えることで鞍替えさせることに成功(現ミネソタ・バイキングス)、新たにオークランドを加えて発足した。NFLはハントがオーナーのテキサンズに対抗してダラスにもフランチャイズを与える(現ダラス・カウボーイズ)など、AFL潰しといえる方策をとった[2]。
1960年、8チームにより最初のシーズンが行われたが、当初は集客に苦戦し、当初ロサンゼルスにフランチャイズを置いたチャージャーズはNFLのロサンゼルス・ラムズとの競合もあり1962年にサンディエゴに移転している。テキサンズもカウボーイズに対し劣勢であったため、1963年にカンザスシティに移転した。
しかし、設立時よりABCと5年間の放映権契約を結び、その放映権収入を各チームに分配したことから、過去にNFLに対抗して生まれすぐに消滅したリーグと異なり、各チームに収入の安定をもたらし、リーグの存続につながった。1961年にリーグと放送局の独占契約を可能とする法律が可決されたことから、NFLも翌1962年シーズンよりCBSと放映権契約を結び、同様に放映権収入を各チームに分配した。
やがてAFLがNFLの有力な競合相手として成長し、1965年には新たにNBCと5年間で3600万ドル[3]という放映権契約を結んだ。同時期のNFLは14チームで1964年と1965年の2年間で2820万ドル[4]だったので、1チームあたりの放映権料はNFLに肉薄した。
そのため、分配金による潤沢な資金を得た各チームにより、ドラフトによる両リーグ間での選手の奪い合いや契約金の高騰といった弊害が生じ、ハントとNFLコミッショナーのピート・ロゼール(英語版)との間で会談が行われ、1966年6月に両リーグの合併が合意に達した。ただし、ドラフトは1967年から統一して行うものの、1966年シーズンから1969年シーズンまでの4シーズンはリーグとしてのAFLは存続。シーズン最後にAFLとNFLのチャンピオンチームが対戦する「AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム」が行われることになった。
当時は新興リーグのAFLは格下とみられており、事実、第1回(1966年)、第2回(1967年)はNFLのグリーンベイ・パッカーズがAFL勢を下して連覇した。しかし、ハントの提案による「スーパーボウル」が正式名称となった第3回(1968年)でAFLのニューヨーク・ジェッツが下馬評を覆して勝利。AFL-NFL対抗戦としては最後となった第4回(1969年)もチーフスが勝利したことにより、対戦成績は2勝2敗の五分となった。
1970年シーズンのリーグ統合により、AFLはアメリカン・フットボール・カンファレンス(AFC)、旧NFLはナショナル・フットボール・カンファレンス(NFC)となった。