アメリカの金貨
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アメリカの金貨(アメリカのきんか)とは、アメリカ合衆国で鋳造され発行・流通した金貨である。本項では主に金銀複本位制および金本位制の下鋳造され流通した本位金貨としてのアメリカの金貨について解説する。このうち、10ドル金貨および、現在も発行されている地金型金貨についてはイーグル金貨も参照されたい。
概要.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}自由の女神立像。アメリカ合衆国の国章

アメリカ合衆国は1776年に独立宣言し、1792年に貨幣法(Coinage Act of 1792)が制定され、この法に基づきフィラデルフィア造幣局で翌年から銅貨、1794年から1/2ドル銀貨および1ドル銀貨、1795年から5ドル金貨および10ドル金貨などが鋳造された。それらには白頭鷲が刻まれ、国権を表すものとしてアメリカの国章となった。これより10ドル金貨は「イーグル」と呼ばれるようになった。

当初は硬貨の表面のデザインとして、初代大統領であるジョージ・ワシントンの像を入れるべきか、自由の女神とするべきか議論があったが、ワシントンは自身の肖像を入れることを好まず、命を賭して革命を戦い取った「自由(Liberty)」を象徴する自由の女神のデザインを希望し、民衆もそれを支持したとするエピソードがある。以来アメリカの硬貨は表面が「自由の女神」、裏面が「白頭鷲」を基本としている。さらに、表面には合衆国の州を示す星印が刻まれていた[1]

アメリカの通貨の金種の基本単位は、セント(Cent)、ダイム(Dime)、ドル(Dollar)、イーグル(Eagle)があり、このうちイーグルは金貨の金種の単位であり、1933年以前は流通用硬貨として最大の単位であった。ドルとダイムは銀貨の単位、セントは銅貨の単位であった。ただしイーグルは通貨単位として表示されているわけではなく、例えばダブルイーグル(Double Eagl)は2イーグル(TWO EAGLES)ではなく20ドル(TWENTY DOLLARS)等と表示され、1/2イーグル(Half Eagle)は5ドル(FIVE D.)等と貨面に表示されている。これらの金貨は1933年に流通が停止するまで本位貨幣として使われ、その後流通はなくなったが貨幣として廃貨となったわけではなく、1965年の貨幣法(Coinage Act of 1965)第102条において現在でも全てのアメリカの硬貨は無制限の法貨とされている[2]
歴史的経緯
1792年の貨幣法1797年銘の1/2イーグル金貨。ターバンヘッドでヘラルディックイーグル。16-starの変種。1822年銘の1/2イーグル金貨。キャップドヘッド。

1792年4月2日にアメリカの貨幣について規定した貨幣法(Coinage Act of 1792)が合衆国議会を通過した。ここではアメリカ合衆国ドルが規定され、広く使われているスペインドルと等価に設定された[3]。独立前、入植地の法貨はイギリスのポンドであったが、イギリスは入植地に送るポンドを制限し、入植民もポンドを嫌いスペインドルを好んで使用し多く流通していた[4]

この法律の9条で規定されたイーグル(10ドル金貨)は270グレーン(17.4957g)の量目で品位22カラット、247.5グレーン(16.0377g)のを含有し、以下1/2イーグル(5ドル金貨)および1/4イーグル(2.5ドル金貨)も量目・品位共に額面に比例となった。金貨に合金されている残り2/24はおよび銀とされ、この合金成分のうち銀は半分以下、すなわち全体の1/24以下と規定された。1ドル銀貨は416グレーン(26.9563g)の量目で371.25グレーン(24.0566g)のを含有し、両方が本位貨幣とされた金銀複本位制であり、金銀比価は1:15と設定された[5][6][7]。この法律の14条では金や銀の地金を造幣局に持ち込めば当初は無料、後に僅かな手数料で金貨や銀貨に鋳造される自由鋳造が認められた。

製造された金貨および銀貨は政府関係者および市民によって構成されフィラデルフィアの造幣局内に設置された分析委員会(Assay Commission)で貨幣の試験分析が行われ、金および銀の含有量が公差以内に規定通りに造られているか確認された。この委員会は1980年に廃止されるまで継続した[8]

このタイプの金貨には表側にはロバート・スコットのデザインによるターバンヘッド(Turban Head)と呼ばれるターバンのように見える帽子を被った自由の女神像が描かれ、リバティキャップ(Liberty Cap)とも呼ばれる[9]。裏側にはイーグル及び1/2イーグルには当初小型イーグル(Small eagle)、後に「E PLURIBUS UNUM」と刻まれたヘラルディックイーグル(Heraldic eagle)となり、1/4イーグルはヘラルディックイーグルのみであった。1807年から1/2イーグル、および1808年の1/4イーグルはジョン・ライヒによる自由の女神の胸像となり、ドレイプドバスト(Draped Bust)またはキャップドバスト(Capped Bust)と呼ばれるデザインになった。このタイプをターバンヘッドと呼ぶ場合もある[10]。1/2イーグルは1813年から、1/4イーグルは1821年からロバート・スコットおよびジョン・ライヒによる頭部のみのデザインとなりキャップドヘッド(Capped Head)と呼ばれる。1/2イーグルおよび1/4イーグルは1829年から直径が縮小され、デザインはウィリアム・ニースが担当した。

額面は1807年から刻まれるようになり、1/2イーグルは1807年から1834年まで「5 D.」、1/4イーグルは1808年から1834年まで「2? D.」と刻まれている。
1834年の量目・品位の引き下げ

1834年6月28日には前日に議会を通過した改正貨幣法(Coinage Act of 1834)がアンドリュー・ジャクソン大統領によって署名された。

銀価格の相対的な下落によって金貨が国外に流出し鋳潰されるようになったため、金銀比価を国際的な相場よりやや金高に設定した1:16.002に変更された。ここで銀貨については変更せず、イーグル(10ドル金貨)は量目を258グレーン(16.7181g)と減量し、品位も116/129(899.22/1000)と下げられ、金含有量は232グレーン(15.0333g)となった。以下1/2イーグル(5ドル金貨)および1/4イーグル(2.5ドル金貨)も量目・品位共に額面に比例であった[11][12]。銀価格の下落であれば銀貨を増量して金銀比価を調整する方法も考えられるが、ここで銀貨を据え置き金貨を減量したのは、多額のスペインドルの流通により民衆が銀貨の使用に慣熟していたからであるとされ、事実上銀が標準であった[7]

このタイプの金貨はイーグルは製造されず、1/2イーグルおよび1/4イーグルが製造され、表面はウィリアム・ニースのデザインによるクラシックヘッド(Classic Head)と呼ばれる「LIBERTY」と刻まれた冠を被った自由の女神が刻まれている[13]

額面はすべて裏面に刻まれ、1/2イーグルは1834年から1838年まで「5 D.」、1/4イーグルは1834年から1839年まで「2? D.」と刻まれている。
1837年の品位変更

1837年1月18日に署名された貨幣法(Coinage Act of 1837)では、金貨の品位を従来の116/129からわずかに引き上げ900/1000とされた。残り100/1000の合金成分は銅および銀とされ、銀はこのうち半分以下と規定されたが、1838年から製造されたイーグル、1839年からの1/2イーグル、および1840年から1/4イーグル金貨では銀の含有率は0%になり金に対する合金成分は銅のみとなった。この結果、イーグル(10ドル金貨)は量目はそのまま、金含有量は232.2グレーン(15.0463g)となった。以下1/2イーグル(5ドル金貨)および1/4イーグル(2.5ドル金貨)も量目・品位共に額面に比例、金銀比価は1:15.988、金1トロイオンスが20.67ドルとなった。ただし、このタイプのイーグルは1838年から、1/2イーグルは1839年から、1/4イーグルは1840年からの製造となっている。

このタイプの金貨は表面はクリスチャン・ゴブレクトによるリバティヘッド(Liberty Head)またはコロネットヘッド(Coronet Head)と呼ばれる「LIBERTY」と刻まれた冠を被った自由の女神の頭部が刻まれたデザインである[14][15]

額面は、イーグルは1838年から1907年まですべて「TEN D.」、1/2イーグルは1839年から1907年まで「FIVE D.」、1/4イーグルは1840年から1907年まで「2? D.」と刻まれている[16]

1837年にはシャロット、1838年にはダロネガニューオリンズに造幣局の支局が開設され、それぞれの局で1838年から1861年まで金貨が鋳造され、ここで製造された金貨にはシャロット「C」、ダロネガ「D」、ニューオリンズ「O」のミントマークが刻まれている。ニューオリンズでは1879年に金貨の鋳造が再開され1909年まで金貨製造が続いた。1906年からデンバーで金貨鋳造が始まり、これ以降に見られるミントマーク「D」はデンバーを示している[17]


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