アメリア・イアハート
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アメリア・イアハート
Amelia Earhart
アメリア・イアハート(1935年頃)
生誕Amelia Mary Earhart
(1897-07-24) 1897年7月24日
アメリカ合衆国カンザス州アッチソン
失踪1937年7月2日(39歳)
ニューギニア島ラエからハウランド島途上の太平洋
現況1939年1月5日死亡声明
国籍 アメリカ合衆国
著名な実績女性として初の大西洋単独横断飛行を達成、他多くの飛行記録を樹立。
配偶者ジョージ・パットナム(英語版)
親サミュエル・エドウィン・スタントン・イアハート(父親、1868年 - 1930年
アメリア・オーティス・イアハート(母親、1869年 - 1962年
公式サイト ⇒ameliaearhart.com
署名

アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart [??mi?li? ???rh?rt][1]1897年7月24日 - 1937年7月2日)は、アメリカ飛行士
概要

1927年チャールズ・リンドバーグの快挙に続き、女性として初めての大西洋単独横断飛行をしたことから[2]、ミス・リンディの愛称がある。知的かつチャーミングな女性であったため、当時から絶大な人気があり、彼女の名前を冠された商品も多岐にわたっていた。これらは出版人であった夫のジョージ・パットナム(英語版)の協力と手腕であったとされる。最後のフライトも、7月4日の国民的祝日のアメリカ独立記念日にアメリカ本土到着を計画したもの、との見方がある。

1937年(昭和12年)には赤道上世界一周飛行に挑戦するが、同年7月上旬に[3]南太平洋において行方不明となった[4]。遭難の経緯や捜索状況は、日本国内でも新聞で報道された[5]。その後アメリカ海軍大日本帝国海軍により大規模な捜索が行われたが、機体の残骸や遺体が発見されなかったことから、イアハートの失踪が「ミステリー」として取り上げられることとなった。

アメリカでは今も代表的国民ヒロインの一人(スミソニアン博物館所蔵品の3Dデータ公開ではライト兄弟機と同時に ⇒彼女のフライトスーツが公開された)であり、さらに謎めいた最期のために、未だにSF・フィクションの世界では彼女の登場するものが少なくない。

また、イアハートは自身の体験を通じ、女性の地位向上のために熱心な活動を行い、ゾンタクラブ(英語版)の主要メンバーとして活躍していた。今もイアハートの名前を冠した奨学金制度(大学院課程で航空関連の科学や技術を学ぶ女性対象)が運営されている(2012年現在も活動が続いている)。

これらのことから、昨今、ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる、としてマーケティング分析分野では「アメリア・イアハート効果」という語も生まれている[6]
経歴
生い立ち

アメリカのカンザス州アッチソン (Atchison) でドイツ系の裕福な家庭に生まれる。高校卒業後は医学を学ぶためコロンビア大学に入学したが、1年で中退した。第一次世界大戦中はカナダアメリカ陸軍病院で看護助手として働いた。

1921年カリフォルニア州ロサンゼルスで、ネタ・スヌークから飛行訓練を受け、最初の飛行機を買った (Kinner Airstar)。家族内の問題により1924年に飛行機を売り、東部に戻りソーシャルワーカーとして働いた。
女性飛行家 飛行機の前でポーズをとるイアハート(1928年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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