アメヤ横丁
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「アメ横」はこの項目へ転送されています。名古屋市の「アメ横」については「大須 (名古屋市)」をご覧ください。
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出典検索?: "アメヤ横丁" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年3月)
上野側の、アメヤ横丁入り口(2007年撮影)御徒町駅北口から見る、アメヤ横丁入り口(2006年撮影)高架下の店舗内の様子(2015年撮影)年末の賑わい
上野側から御徒町方向を望む。2006年12月30日撮影。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}アメヤ横丁 所在地地図

アメヤ横丁(アメヤよこちょう)は、日本東京都台東区にある地名商店街名。東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線ほかの御徒町駅 - 上野駅間の高架橋西側と高架下の約500 - 600メートル[1]を中心に、約400店を有する商店街である[2]。正式名称はアメ横商店街連合会(アメよこ しょうてんがい れんごうかい)であるが、アメヤ横丁のほか、アメ横(アメよこ)、上野アメ横(うえのアメよこ)、アメ横商店街(アメよこ しょうてんがい)などと通称されることが多い。商店街の看板は、上野駅側は「アメヤ横丁」であり、その他は「アメ横」と表示されているものがある[1]。キャッチコピーは「対面販売で交渉次第で更にお安く!![3]」。
地名の由来

商店街が「アメヤ横丁」という名前で呼ばれるようになった由来は大別して二つある。第二次世界大戦直後、砂糖が手に入りにくかった時代に、マーケット周辺で露店を出した中国からの引揚者会がを販売し、甘味に飢えた人々の間で大好評を博したからとも[4]、「あめ」を売る店が並んだためともいう説がある(飴屋横丁)。もう一つは、アメリカ進駐軍の放出物資を売る店も多かった説である(アメリカ横丁)[2][5]。現在でも、アメヤ横丁問屋街には、飴などの菓子類を売る店がある。それが、いつしかアメヤ横丁の呼び名が縮まり、「アメ横」と通称されるようになっていったといわれる[6][7]
歴史

元々は民家長屋がひしめき合う下町の住宅街(御徒町を参照)であった。国鉄変電所があったことから、太平洋戦争下の空襲に因る被災を避けるため、強制的な建物疎開が行われた。しかし東京大空襲によって周辺一帯は焦土と化し、第二次世界大戦後バラック建ての住宅と店舗、そして盛り場では屋台露天商が目立ち始めるようになる。これらは公の営業許可を受けないため闇市と呼ばれ、アメ横があるところもその一つであった[4]配給が十分に行き渡らないため民衆はそこに集まり、十分なモラルがない中で、様々な人間が多種多様な物資を公定価格の10倍ほどの値段で売買しており[4]、それらに群がる愚連隊暴力団などが入り乱れ白昼の発砲事件なども起き、その度にMP(米陸軍憲兵)と警察が対処に当たるというような状況が続いていた。

1946年昭和21年)、手を焼いた当局(上野警察署と台東区役所)が近くの実業家・近藤広吉に頼み込み、現在アメ横センタービルの建っている三角地帯に、80軒の商店を収容した「近藤マーケット」を作らせた。近藤マーケットは出所の怪しい者を排除して出店させたため、アメ横はようやく正常化へと向かっていった[4]。その後、マーケットの周辺では中国からの引揚者が露店を出すようになり、現在あるアメ横のルーツとなった[4]

上野駅は北関東東北地方北陸との鉄道の玄関口であった。これらの地方から東京へコメや野菜を売りに来た行商人が、地元では不足していた甘味の飴を仕入れて帰るため、飴屋が並んだ。米軍放出品などを扱うミリタリーショップは現在もあるが、飴屋は日本で戦災復興が進み、飴の売り上げが減ると、取扱商品や業態を変えていった。上野駅側の「アメヤ横丁」看板は、まだ飴屋が残っていた1950年代に設置されたものである[1]

なお、東上野に現在も残る「キムチ横丁」は、この時アメ横から移転した韓国人・朝鮮人が作ったものである。1982年昭和57年)12月21日に旧・国鉄上野変電所跡にアメ横センタービルが完成した。この頃の1980年代に入ると、核家族化(年末に地方から帰京する子供の数が激減した)が進んだ事に伴い鮮魚を扱う店が減少していった。代わって若者向けのスポーツ用品店や都市型薬品店(1987年7月一号店)が1990年代に目立って増えた。また、アメ横センタービルの地下では中国東南アジアの食材が売られており、多くの中国人が買い物に訪れるため、店員も中国人が多く、中国語が飛び交うようになった。

平成になって目立ち始めたのが「閉店セール」である。実際には毎日閉店セールと称して通行人に、たたき売りのイメージを抱かせて販売している。その他、つまみやチョコレートなどを専門に1000円で山盛りサービスといったパフォーマンスを披露して販売している。魚屋の呼び込みでは一年中マグロの切り身を1000円で道行く人に声をかけて販売している。これらは一見の客を対象に売られているものの、昭和時代と較べて品質の極めて低いものはなくなりつつある。[要出典]


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