この項目では、オランダ王国の首都について説明しています。その他の用法については「アムステルダム (曖昧さ回避)」をご覧ください。
旗
紋章
愛称: モクム、北のヴェネツィア
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国 オランダ
州(Provincie) 北ホラント州
面積
? 都市219[1][2] km2
? 都市圏1,815 km2
標高2[4] m
人口(2012年5月6日)[5]
? 都市820,654人
? 密度3,506人/km2
? 都市圏2,289,762[3]人
等時帯UTC+1 (CET)
? 夏時間UTC+2 (CEST)
市外局番020
ウェブサイトamsterdam.nl
アムステルダム(オランダ語: Amsterdam, 発音: [???mst?r?d?m] ( 音声ファイル))は、オランダの首都。北ホラント州の基礎自治体(ヘメーンテ)であり、オランダ最大の都市である。人口921,402人(2022年)、都市圏人口は2,480,394人にのぼる。商業や観光が盛んなヨーロッパ屈指の世界都市である[6]。地名は「アムステル川のダム(堤防)」の意(「ダム広場」の項を参照)。
憲法に規定されたオランダの首都だが、国会、中央官庁、王宮、各国の大使館など首都機能のほとんどはデン・ハーグにある[注釈 1]。
元々は小さな漁村だったが、13世紀にアムステル川の河口にダムを築き、町が築かれた。16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展した。現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河や、その運河に沿って並ぶ無総督時代の豪商の邸宅、自転車、飾り窓の女性たち、アンネ・フランクの家などで広く知られる。
歴史詳細は「アムステルダムの歴史(英語版)」を参照
アムステルダムは昔、海だった所を干拓によって陸地化した土地に建設されたため、内陸部の都市より歴史が浅い。干拓が始まったのは11世紀頃と推定されているが、当初は農業や泥炭採掘が目的で居住者は少なかった。13世紀後半になると交易の拠点となり、地名が文献に現れ始め、街は急速に発展した。
建設1306年献堂の旧教会 (Oude Kerk)
アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によれば、犬を連れて小さな船に乗った二人の猟師が、アムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(アムステルのダム:Dam in de Amstel)というのが街の名前の由来。1287年12月14日、北海からの高波がゾイデル海に流れ込み、聖ルチア祭の洪水と呼ばれる大水害を引き起こした。これによってゾイデル海は大きく拡大するとともに、北海へと開口することになり、ゾイデル海の一番奥にあるアムステルダムが海陸の接点として注目されることとなった。1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。やがて15世紀にはハンザ同盟をしのいでバルト海交易の中心地となっていった。
独立1538年当時のアムステルダム
16世紀には当時ネーデルラント17州を支配していたスペイン王フェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、八十年戦争へ発展した。この間、アムステルダムは独立派に組していた。1585年8月に南ネーデルラントのアントウェルペンがスペインのパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼに降伏すると、アントウェルペンの新教徒商人がアムステルダムへと続々と移住し、アムステルダムはそれまでのバルト海交易のみならず、それまでアントウェルペンが支配していた地中海交易や新大陸、アジアからの交易をも手に入れ、これによってアムステルダムは世界商業・金融の中心地となっていった。