アミ族
[Wikipedia|▼Menu]

アミ族 = パンツァハ族(パンツァハ)

総人口
約214,000人[1]
居住地域
台湾花蓮県台東県屏東県台北市他)
言語
アミ語台湾語国語日本語
宗教
キリスト教アニミズムシャーマニズム
関連する民族


パイワン語群  パイワン族ブヌン族プユマ族サイシャット族サオ族クバラン族サキザヤ族

アミ(Amis, 台湾華語/中国語:阿美族、別名:パンツァハ(Pangcah))は、台湾原住民のなかで一番多い21万4737人(2020年8月の統計による[2])の人口規模を持つ民族集団。

居住地域は台湾の東部一帯、花蓮県台東県屏東県に亘る広い範囲である。主に平地に集落を構え、中央山脈海岸山脈(東岸山脈)の間にある細長い渓谷地域(花東縦谷)、その両端の花蓮市台東市周辺の平野部、海岸山脈の東側の太平洋沿いの平地、台湾南端の恒春半島に住んでいる。また台北市高雄市など、台湾各地の大都市にも拡散しており、「大都市の原住民」の多くを占めている。アミ族からは多くの歌手、芸能人、スポーツ選手、その他学者、教育者、政治家などが輩出されている。

アミ族はコメなどの農業ブタなどの畜産で生活し、海岸部では漁業を営んでいる。伝統的な集落は他の原住民の集落に比較して大きく、500人から1000人規模が典型的である。また花蓮や台東、あるいは遠く離れた台北や高雄で都市生活を送る者も多い。

花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡があり、その二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされている。

花蓮県吉安郷仁安村には、観光施設「花蓮阿美文化村」があり、アミの文化を紹介する資料館があるほか、劇場ではアミの舞踊のショーが行われている。
言語

アミ語オーストロネシア語族の一種であり、固有の文字は持たない。年配の世代は日本語も使う一方、若い世代は中国語(台湾華語)を使用している。
分類日本統治時代に撮影された、南勢アミの男女

アミ族の人々は一般的に自分たちのことを、「人間」「仲間」を意味するパンツァハと呼んでいるが、今日の台湾ではアミという呼び名がより一般的に使用されている。「アミ」とはアミ語で「北」を意味する。

なぜ「アミ」という語がパンツァハの人々を指す言葉になったのか、学会でも定まった見解はない。一つの仮説は、台東付近に住むプユマ族が、自分たちより北に住んでいるパンツァハに対してこう呼ぶようになったというものである。別の仮説は、台東平野に住むパンツァハの人々が、祖先が北方から来たために「アミ」と自称していたことから来ているというものである(台東平野のアミ族に関するこの記述は、日本統治時代の1913年-1918年に編纂された『蕃族調査報告書』第8巻4ページに登場する)。この仮説は、アミという語が、人類学者が「卑南アミ群」(ファランガウ・アミ、Falangaw Amis)と分類している台東市から成功鎮にかけて住む集団から誕生したことを示している。

また、太平洋戦争中に台湾原住民の伝統音楽のフィールド調査をした日本人音楽学者・黒澤隆朝は、アミ族の始祖伝説として以下の様な話を採録している。

「太古、南方にあったラガサンという大陸が天変地異で海中に沈んだ。そのとき臼に乗って辛くも逃れだした男女が海流に乗って北上し、台湾にたどり着いた。二人はその地に落ち着いて結婚し、子孫も増えた。そして『我々は北にやってきた』ことを記念し、北を意味する『アミ』を民族名とした。」

別の伝説では「ラガサン」は二人がもともと住んでいた土地の名ではなく、台湾に漂着したとき最初にたどり着いた山の名であるともいう。その山は、現在の鳳林駅から東南に望まれる、富士山に似た形の山・八里湾山を指すともいう。

原住民の歴史によれば、アミ族は大きく5つの集団に分類される。それぞれの集団は、民族衣装や言葉も微妙に異なる。

南勢アミ群(北部アミ、奇?(現在の花蓮)一帯の平野に住む。アミ族の居住地域では最北部ながら「南勢」なのは、かつて「北勢蕃」と呼ばれたタロコ族の南に居住していたため)

秀姑巒アミ群(中部アミの一部、中央山脈と海岸山脈の間の平野、秀姑巒渓流域に住む)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef