イタリアの政治家アミントレ・ファンファーニAmintore Fanfani
生年月日 (1908-02-06) 1908年2月6日
出生地 イタリア王国、ピエーヴェ・サント・ステーファノ
没年月日 (1999-11-20) 1999年11月20日(91歳没)
出身校サクロ・クオーレ・カトリック大学
所属政党キリスト教民主主義(1942 - 1994)
イタリア人民党(1994-1999)
第9・13・16・17・41・44代イタリア共和国閣僚評議会議長
内閣第1次ファンファーニ内閣
アミントレ・ファンファーニ(イタリア語: Amintore Fanfani、1908年2月6日 - 1999年11月20日)は、イタリアの政治家、経済学者(経済史及び経済学史)。
首相(第9・13・16・17・41・44代)、労働社会政策相、外相、元老院(上院)議長、元老院議員、キリスト教民主主義書記長。 イタリア中部の小都市、ピエーヴェ・サント・ステーファノで生まれた。その後ミラノのサクロ・クオーレ・カトリック大学に進学し、卒業後は同大学やローマ大学教授などを歴任した。 第二次世界大戦中の1942年、イタリア大学カトリック教徒連合(Federazione Universitaria Cattolica Italiana)の一員として、旧イタリア人民党のアルチーデ・デ・ガスペリらと共に、戦後のイタリアで大きな勢力を誇った「キリスト教民主主義」(Democrazia Cristiana)の結党に参加。 1946年6月に発足した憲法制定議会(Assemblea Costituente della Repubblica Italiana)の議員に選出される。翌1947年5月、第4次デ・ガスペリ内閣の労働・社会保障相として初入閣。 1953年8月にアルチーデ・デ・ガスペリが退陣し、ジュセッペ・ペッラが後継首相となったが翌年1月に辞任した。ファンファーニはその後継として1月19日に首相となったが、信任決議案が下院で否決され辞任を余儀なくされた。23日間という短さはイタリア共和国史上最短である。同年2月10日にマリオ・シェルバが中道政権を率いることとなった。 首相退任後の1954年6月にアルチーデ・デ・ガスペリの後任としてキリスト教民主主義の党首となった。ファンファーニは1959年3月まで在任することになる。 1958年イタリア総選挙の後にアドネ・ツォーリ
略歴
政界前
DC結党に参加
6度の首相,2度の党首,3度の上院議長,そして国連総会議長
第一次内閣
一期目の党首
第二次内閣
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