アミュンタス1世
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アミュンタス1世(古代ギリシア語: ?μ?ντα? A?、ラテン文字転記:Amyntas I、在位:紀元前547年 - 紀元前498年)は、アルゲアス朝のマケドニア王である。

アミュンタス1世は先代の王アルケタス1世の子で、次代の王アレクサンドロス1世の父である[1]

パイオニア人がアケメネス朝ペルシアに征服された後、アミュンタスの許にペルシア王ダレイオス1世から服属を要求する使節のペルシア人が来て、アミュンタスはそれに応じた。その時開かれた宴においてペルシア人たちがマケドニアの女性たちに対して狼藉を働いた。アミュンタスは我慢していたが、王子のアレクサンドロスは腹を立てて使節たちに女装させた刺客を差し向けて殺した。この事件はアレクサンドロスが帰らぬペルシアの捜索隊の隊長を買収したため事なきを得た[2]

また、アミュンタスは他国と初めて国交を結んだマケドニア王であり、アテナイ僭主ヒッピアスと同盟を結んだ。ヒッピアスが国を追われた際、アミュンタスはアンテムスという町を提供しようとしたが、ヒッピアスはそれを断ってシゲイオン(ヒッピアスの父ペイシストラトスの子ヘゲシストラトスが治める都市)に向かった[3]
脚注^ ヘロドトス, VII. 139
^ ibid, V. 17-20
^ ibid, V. 94

参考文献

ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史』(中)(下)、岩波書店、1972年


先代
アルケタス1世マケドニア王
紀元前547年 - 紀元前498年次代
アレクサンドロス1世










マケドニア王
アルゲアス朝

カラノス前808-前778

コイノス前8C

トゥリマス前8C

ペルディッカス1世前700?前678

アルガイオス1世前678-前640

ピリッポス1世前640-前602

アエロポス1世前602-前576

アルケタス1世前576-前547

アミュンタス1世前547-前498

アレクサンドロス1世前498-前454

アルケタス2世前454-前448

ペルディッカス2世前454-前413

アルケラオス1世前413-前399

クラテロス前399

アルケラオス2世前396-前393

オレステス前399-前396

アエロポス2世前399-前393

パウサニアス前393

アミュンタス3世前393

アルガイオス2世前393-前392

アミュンタス3世前393-前369

アレクサンドロス2世前370-前368

ペルディッカス3世前368-前359

アミュンタス4世前359

ピリッポス2世前359-前336

アレクサンドロス3世前336-前323

ピリッポス3世前323-前317

アレクサンドロス4世前323-前309

アンティパトロス朝

カッサンドロス前305-前297

ピリッポス4世前297

アンティパトロス2世前297-前294

アレクサンドロス5世前297-前294

アンティゴノス朝

デメトリオス1世前294-前288

諸家

リュシマコス(ピュロスと共同統治)前288-前281

ピュロス(リュシマコスと共同統治)前288-前285

プトレマイオス朝

プトレマイオス・ケラウノス前281-前279

メレアグロス前279

アンティパトロス朝

アンティパトロス・エテシアス前279

ソステネス前279-前277

アンティゴノス朝

アンティゴノス2世前277-前274

エピロス王家

ピュロス(復位)前274-前272

アンティゴノス朝

アンティゴノス2世(復位)前272-前239

デメトリオス2世前239-前229

アンティゴノス3世前229-前221

ピリッポス5世前221-前179

ペルセウス前179-前168

アンドリスコス(僭称者) 前149-前148



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