アミターブ・バッチャン
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アミターブ・バッチャン
Amitabh Bachchan
アミターブ・バッチャン(2013年)
本名Inquilaab Srivastava(誕生時)[1]
生年月日 (1942-10-11) 1942年10月11日(81歳)
出生地 イギリス領インド帝国 連合州(英語版)イラーハーバード
(現ウッタル・プラデーシュ州
職業俳優映画プロデューサー、テレビ番組司会者、プレイバックシンガー
活動期間1969年-
配偶者ジャヤー・バッチャン(1973年-)
著名な家族バッチャン家参照

 受賞
パドマ・シュリー勲章(1984年)
パドマ・ブーシャン勲章(2001年)
パドマ・ヴィブーシャン勲章(英語版)(2015年)
ダーダーサーヘブ・パールケー賞(2019年)

備考

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アミターブ・バッチャン(Amitabh Bachchan、1942年10月11日[2] - )は、インド俳優映画プロデューサー、テレビ番組司会者、プレイバックシンガー、元政治家。1970年代からボリウッドで人気俳優の地位を確立し、その役柄から「怒れる若者(angry young man)」と呼ばれた。この他にも「ボリウッドのシャーハーン・シャー(出演作『Shahenshah』が由来)」、「Sadi ka Mahanayak(意味:世紀の大俳優)」、「スター・オブ・ミレニアム(Star of the Millennium)」、「ビッグB(Big B)」とも呼ばれている[3]。2020年時点で個人資産は4億ドルと報じられている[4]

50年以上のキャリアの中で200本以上の映画に出演しており[5]、インド映画史上最も偉大な俳優の一人に挙げられている[6]。また、1970年代から1980年代にかけてインド映画の中心的存在であり、フランソワ・トリュフォーからは「一人だけの産業(one-man industry)」と称された[7]。彼はインド亜大陸だけではなくアフリカ南アフリカ共和国モーリシャス)、中東アラブ首長国連邦エジプト)、イギリスロシアカリブ海地域ガイアナスリナムトリニダード・トバゴ)、オセアニアフィジーオーストラリアニュージーランド)、アメリカ合衆国でも高い人気を集めている[8]
生い立ちバッチャン家(左から妻ジャヤー、アミターブ、息子アビシェーク、息子の妻アイシュワリヤー・ラーイ

イラーハーバード出身[9]。父方の祖先は現在のウッタル・プラデーシュ州プラタープガル県(英語版)バープパッティ(英語版)の出身である[10]。母テージ・バッチャン(英語版)は社会活動家であり、ライオールプル出身のパンジャーブ人シク教徒である[11]。父ハリヴァンシュ・ラーイ・バッチャン(英語版)はアワディー人(英語版)ヒンドゥー教徒の詩人で、アワディー語ヒンディー語ウルドゥー語に堪能だった[11][12]

ハリヴァンシュは息子に「インクイラーブ (Inquilaab)」と名付けた。これはインド独立運動時のスローガンの一つだった「インクイラーブ・ジンダバード(英語版)(意味:革命万歳)」に由来しているが、詩人仲間のスミトラナンダン・パント(英語版)の提案で名前を「アミターブ (Amitabh)」に変更した。ザ・タイムズ・オブ・インディアによると、名前は「死ぬことのない光」を意味している[13]。一家の姓は「シュリヴァスタヴァ (Srivastava)」だったが、ハリヴァンシュはペンネームである「バッチャン (Bachchan)」を日常的に名乗っていた[14]。アミターブが俳優デビュー時に名乗ったのも「バッチャン」であり、やがて「バッチャン」はアミターブの近親者が姓として名乗るようになった[15]。アミターブは2003年に父と死別し、2007年には母と死別している[16]

アミターブはナイニタール(英語版)のシェアウッド大学(英語版)を卒業し、後にデリー大学のキロリマル・カレッジ(英語版)に進んだ[17]。テージは演劇に関心を持ち長編映画にも出演している。彼女は息子が「センターステージに立つべき」と常に主張しており、アミターブのキャリア選択に影響を与えた[18]

アミターブは自分の人生に最も大きな影響を与えた存在としてディリップ・クマールを挙げており、特に『Gunga Jumna』のディリップ・クマールの演技から多くのことを学んだと語っている。アミターブは「イラーハーバードやウッタル・プラデーシュ州出身ではない男」がアワディー語のニュアンスを正確に全て発音できるほどに習得していた点に畏敬の念を抱いたという[19]。彼はディリップ・クマールのメソッド演技法のスタイルを取り入れて再構築し[20][21]、この技法を極めることで彼の最も有名な「怒れる若者」のスタイルを確立した[22]
キャリア
1969年 - 1972年ラームダス・パディエが150年前に製作した人形を発表するアミターブ・バッチャン

1969年にムリナル・セン(英語版)の『ソーム旦那の話(英語版)』でナレーションを務め、映画デビューした[23]。初めてキャラクターを演じたのは同年11月の『Saat Hindustani』であり[24]、同作ではウタパル・ダット、アンワル・アリー(英語版)、マドゥー(英語版)、ジャラール・アガー(英語版)と共演した[25][26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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