アマチンのラジオにおまかせ
ジャンルバラエティ番組
放送方式生放送
放送期間1982年4月5日?1997年3月
放送時間月曜日?金曜日 10:00?11:50
放送局東海ラジオ
パーソナリティ天野鎮雄
前川徳子
アマチンのラジオにおまかせは、1982年4月5日 - 1997年3月東海ラジオ放送で放送されていたラジオ番組。
放送時間は毎週月 - 金曜の10:00 - 11:50。1980年代前期から1990年代後期まで15年間、東海ラジオの正午前の時間帯を支えていた[1]。
概要
本番組のパーソナリティの天野鎮雄は、『ミッドナイト東海』降板から3か月後の1972年7月3日から平日朝のワイド番組『さん!さん!モーニング』のパーソナリティを務めていたが、それから10年経った1982年に、当時平日午前11時台に放送されていた『ふれあいスタジオ・お隣さんお向かいさん』のパーソナリティ・伊藤春雄と放送枠を交換する形で、伊藤が『さん!さん!モーニング』へ移動、『ふれあいスタジオ - 』の後継番組としてスタートした。
「リスナーからのどんな質問にもお答えして行こう」というコンセプトでスタート[2]。1時間50分の放送中ずっと電話を受け付け、基本的にテーマはフリーでリスナーから意見・質問・その他諸々の話などを募集していた。夏休みに入ると、小学生や中学生からの電話も増えていた[3]。また、リスナーをスタジオに招待して生放送を行っていたこともあった[2]。
「番組から皆勤賞を贈ろう」という動きも出て来て、これに賛同したリスナーからも「ボランティアとして、賞状に名前を書かせて欲しい」という申し込みも出て来るといったリスナー間の交流もあった[2]。
1980年代は、高い聴取率を獲得していたが[3]、その後は徐々に聴取率が低迷するようになり、1997年春の改編を以て、15年余りの歴史に幕を閉じた。
1997年3月の終了後のこの時間帯では、直接の後継番組となった『松原敬生のバラエティージャーナル』を挟み、1998年8月からは現在も放送中の『かにタク言ったもん勝ち』が放送されている。なお、その『かにタク - 』の中で2007年から、この番組のタイトルを踏襲した名前のコーナー『アマチンの韓国はおまかせ!』(毎週木曜日、アシアナ航空提供)が翌年3月まで放送された。
パーソナリティ
天野鎮雄
アシスタント
前川徳子 (1982年4月?1983年3月)
森本曜子 (1983年4月?1997年3月)
主なコーナー
なんでもホットライン (午前10時台のメインのコーナー)
アマチン問答電話でQ!! ( - 1992年)
海外かわら版 (1992年 - )
わが家のヒット曲
アマチン泣き笑い
わたしはママ
万徳の「占い相談」
飛び込みマイク
アマチンのラジオショッピング
注釈^ 当時中部日本放送では、期間の大半で裏番組にワイド番組がなかった。
^ a b c 東海ラジオ放送創立50年のあゆみ 50th anniversary(東海ラジオ放送株式会社 編 2009年)p.56 - 57
^ a b 月刊ラジオパラダイス 1989年9月号 p.32
東海ラジオ放送 平日 10:00 - 11:50枠
前番組番組名次番組
ふれあいスタジオ・お隣りさんお向かいさん
(11:00 - 11:50)アマチンのラジオにおまかせ松原敬生のバラエティージャーナル
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更新日時:2016年7月20日(水)05:44
取得日時:2017/03/17 01:39