アポロ17号最初の船外活動で月面車を運転するユージン・サーナン
任務種別有人月面着陸
運用者NASA[1]
COSPAR ID司令・機械船:1972-096A
着陸船:1972-096C
SATCAT 司令・機械船:6300
着陸船:6307
任務期間12日13時間51分59秒
特性
宇宙機アポロ司令・機械船 CSM-114
アポロ月着陸船 LM-12
製造者司令・機械船:ロックウェル・インターナショナル
着陸船:グラマン
打ち上げ時重量46,980 キログラム
司令船:5,840 キログラム
機械船:24,514 キログラム
着陸船:16,658 キログラム
乗員
乗員数3
乗員ユージン・サーナン
ロナルド・エヴァンス
ハリソン・シュミット
コールサイン司令・機械船:アメリカ
着陸船:チャレンジャー
EVA遷移軌道上で1回
月面で3回
EVA期間1時間5分44秒
フィルムのカセット回収のための船外活動
任務開始
打ち上げ日1972年12月7日 05:33:00 (UTC)
ロケットサターン5型ロケット SA-512
打上げ場所ケネディ宇宙センター 39A発射台
任務終了
着陸日1972年12月19日 19:24:59 (UTC)
着陸地点南太平洋
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯17度53分 西経166度07分 / 南緯17.88度 西経166.11度 / -17.88; -166.11 (Apollo 17 splashdown)
22時間3分57秒第1回:7時間11分53秒
第2回:7時間36分56秒
第3回:7時間15分8秒
Lunarローバー
走行距離35.74 キロメートル
着陸船のドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日1972年12月7日 09:30:10 (UTC)
分離日1972年12月11日 17:20:56 (UTC)
着陸船上昇段のドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日1972年12月15日 01:10:15 (UTC)
分離日1972年12月15日 04:51:31 (UTC)
ペイロード
科学機器搭載区画 (SIM)
月面車
重量SIM:
LRV: 210キログラム
(左から)シュミット、サーナン(着座)、エヴァンスアポロ計画
有人宇宙飛行« アポロ16号
アポロ17号は、アメリカ合衆国のアポロ計画における最後の飛行である。現在、史上6度目にして最後の有人月面着陸を行い、また地球周回低軌道を越えて人類が宇宙を飛行した最後の例となっている[2][3]。また、アポロ宇宙船を月面着陸という本来の目的で使用する最後の飛行ともなった。同宇宙船がこの後に使われたのは、スカイラブ計画とアポロ・ソユーズテスト計画のみであった。船長ユージン・サーナン (Eugene Cernan)、司令船操縦士ロナルド・エヴァンス (Ronald Evans)、月着陸船操縦士ハリソン・シュミット (Harrison Schmitt) の3名を乗せて1972年12月7日にフロリダ州ケープ・カナベラルのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
17号は、アメリカの有人宇宙船としては初めて夜間に発射された。またサターン5型ロケットを有人飛行に使用するのは、これが最後のこととなった。この飛行はアポロ計画の中ではJ計画に分類されるものであり、3日間の月面滞在の間に月面車を使用して広範な科学的探査を行った。サーナンとシュミットはタウルス・リットロウ (Taurus?Littrow) 渓谷で3度の船外活動を行い、サンプルを採集してアポロ月面実験装置群 (Apollo Lunar Surface Experiments Package, ALSEP) を設置した。一方この間エヴァンスは司令・機械船に乗り、月周回軌道にとどまった。3人の飛行士は12月19日、約12日間の飛行を終えて地球に帰還した[2]。
タウルス・リットロウ渓谷への着陸は、17号の本来の目的を念頭に置いて決定された。その目的とは即ち、(1) 雨の海を形成した巨大隕石の衝突よりも古い月の高地の資料を採集すること。(2) 比較的新しい火山活動が周辺であった可能性について調査すること、であった。谷の北部と南部にある岸壁では高地のサンプルを採集できることが期待され、また谷の周辺にある暗い物質に囲まれたいくつかのクレーターでは火山活動の痕跡を発見できる可能性があったため、この地が着陸地点に選ばれた[4]。
17号はまた、(1) 最も長く宇宙に滞在し (当時)、(2) 最も長く月面活動を行い、(3) 最も大量に月面からサンプルを持ち帰り、(4) 最も長く月周回軌道に滞在した、などのいくつかの記録を打ち立てた[5][6]。 地位
搭乗員
船長ユージン・サーナン
3回目の宇宙飛行
司令船操縦士ロナルド・エヴァンス
1回目の宇宙飛行
月着陸船操縦士ハリソン・シュミット
1回目の宇宙飛行
17号の搭乗員には、本来はサーナン、エバンスおよびジョー・エングル(Joe Engle) が指名されるはずであった。この3名は、アポロ14号で予備搭乗員を務めていた[8]。エングルは極超音速実験機X-15のパイロットとして16回飛行し、最高時速7,272キロメートル、最高到達高度85.5キロメートル の記録を打ち立てたことのある人物だった[9]。一方でシュミットは、アポロ15号の予備搭乗員を務めていた。アポロ計画の飛行士のローテーションでは、予備搭乗員はその3つあとの飛行で本搭乗員を務めるという規定があり、これに従えばシュミットはアポロ18号で月着陸船操縦士を務めることになっていたのだが、18号(さらに19号、20号)は1970年9月に中止が決定された。この決定を受け、科学者らの協会は17号では宇宙飛行士に訓練で地質学を学ばせるのではなく、地質学者そのものを月面に赴かせるようNASAに圧力をかけた。この科学者からの要望を考慮して、地質学の専門学者であるシュミットが着陸船操縦士に指名された[8]。
この変更を受け、17号の残りの搭乗員には誰を指名するかという問題が発生した。15号の予備搭乗員であったリチャード・ゴードン (Richard F. Gordon, Jr.)、ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand) をシュミットとともにスライドさせるのか、もしくは14号のサーナンとエヴァンスをそのまま搭乗させるのかという選択に迫られたが、NASAの飛行人事部長だったドナルド・スレイトン (Deke Slayton) は最終的にサーナンとエヴァンスを指名した[8]。 地位 地位
予備搭乗員
当初
船長デイヴィッド・スコット (David Scott)
司令船操縦士アルフレッド・ウォーデン (Alfred Worden)
月着陸船操縦士ジェームズ・アーウィン (James Irwin)
彼らはアポロ15号の本搭乗員だった
変更後