アポロニア・コテロ
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アポロニア・コテロ
Apollonia Kotero
2008年3月、カリフォルニア州カルバーシティのロサンゼルス・ファッション・ウィークでのコテロ
基本情報
出生名Patricia Kotero (パトリシア・コテロ)[1]
別名Apollonia (アポロニア)
生誕 (1959-08-02) 1959年8月2日(64歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタモニカ
ジャンルR&Bディスコファンクソウルハウスダンスニュー・ウェイヴポップスミネアポリス・サウンド、フリースタイル、コンテンポラリー・R&B
職業女優、歌手、モデル、マネージャー
活動期間1979年 -
共同作業者アポロニア6、プリンス、ヴァニティ6

アポロニア・コテロ(Apollonia Kotero、出生名パトリシア・コテロ、1959年8月2日 - )は、アメリカの女優、歌手、元モデル、マネージャーである[2]プリンスによる1984年の映画『プリンス/パープル・レイン』の共演者として、また、ガール・グループであるアポロニア6のリードシンガーだったことで知られる[3]
生い立ち

コテロは、メキシコからの移民の両親のもと、6人兄妹の長女としてカリフォルニア州サンタモニカに生まれた。彼女の父親のビクターはレストランのマネージャーで、母親のソコロは高齢者の介護をしていた。コテロは常に外向的な子供で、16歳で高校を中退してモデルになった[4]
経歴
初期

コテロは女優、歌手、モデルとして働いていた。ミス・サンペドロに選ばれ、1980年代初頭にロサンゼルス・ラムズでチアリーダーとなった後、コテロは『白バイ野郎ジョン&パンチ』『Tales of the Gold Monkey』『Fantasy Island』『Matt Houston』『ナイトライダー』のような映画やテレビシリーズで演技を始めた。1982年3月と9月に、レイ・パーカー・ジュニアの「The Other Woman」とエディー・マネーの「Shakin'」のミュージック・ビデオに出演した。1984年5月、ABCテレビ映画『The Mystic Warrior』にネイティブ・アメリカンの女性ウィカピとして出演した。
プリンスと映画『プリンス/パープル・レイン』

当時、ヴァニティ6のリーダーだったDenise "Vanity" Matthewsが、プリンスの1984年の映画『プリンス/パープル・レイン』制作前にグループを脱退したため、コテロが映画のヒロインになった。ヴァニティ6は映画のためにアポロニア6と改名されたが、サポート・シンガーのBrenda Bennettとプリンスの当時のガールフレンドであるSusan Moonsieはメンバーとして続投した。アポロニア6は、ヒット・シングル「Sex Shooter」の宣伝のため、世界ツアーに乗り出した。

コテロはもともと、1984年のアルバム『Sex・シューター (Apollonia 6)』のための楽曲「Manic Monday」を録音していた。プリンスによって作詞・作曲されたこの曲は、後にバングルスによって世界的なヒット・シングルとなった。プリンスの歌「Take Me with U」はコテロのボーカルをフィーチャーし、アメリカのビルボード・トップ40・チャートで25位に達した。

1985年、コテロはプリンスのグループを脱退し、CBSゴールデン枠のメロドラマ『Falcon Crest』[3]に出演。ロレンツォ・ラマス演じるキャラクターのガールフレンドであるアポロニア役を10週連続で演じた。彼女は、Jon Lindによって書かれた「Red Light Romeo」を含むいくつかのソロ曲を歌った。
その後

1988年、ワーナー・レコードは、最初のソロ・アルバム『アポロニア』をリリースした[5][6]。アルバムからは「Since I Fell for You」「The Same Dream」「Mismatch」の3曲がシングル・カットされた。

彼女は『Ministry of Vengeance』(1989年)[7]、『Back To Back』(1990年)、『Black Magic Woman』 (1991年)、そして2つのイタリア映画『La Donna di una Sera (A Lady for a Night)』 (1991年)、『Cattive Ragazze』 (1992年)などに出演を続けた。彼女は『スライダーズ』や『Air America』(『Falcon Crest』での共演者ロレンツォ・ラマスと再び共演)などの番組でテレビ業界に戻り、またジャズ・チャンネルの『ラテン・ビート・プログラム』の司会者にもなった。 この期間中、「Go For It」というタイトルの運動ビデオも公開された。コテロはE!の『Celebrity Homes』『The Test』『Rendezview』にも出演し、『MTV Cribs』では友人のカルメン・エレクトラと共演した。

2005年、コテロはマルチメディアエンターテイメント会社Kotero Entertainmentを設立した。この会社は、子供向けのテレビ・アニメ・シリーズと長編映画を制作するために多くのプロデューサーを募集した。また、同社はテレビや映画のスターSascha Andresや、若きポップシンガーNikki Barreras(Nikki B.とも)などの若いタレントのマネージメントも始めた。

2009年、コテロは、『スピン』誌による『パープル・レイン』25周年記念アルバム『Purplish Rain』で、トワイライト・シンガーズの「When Doves Cry」のカバーにボーカルとして参加した。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

『アポロニア』 - Apollonia (1988年)

アポロニア6

『Sex・シューター』 - Apollonia 6
(1984年)

シングル

「テイク・ミー・ウィズ・ユー」 - "Take Me with U" (1985年) ※with
プリンス。『パープル・レイン』収録。全英7位になり、コテロの英国内における唯一のチャートインとなった

"Since I Fell for You" (1988年)

"Mismatch" (1989年)

"The Same Dream" (1989年)

出典^ https://familysearch.org/ark:/61903/1:1:VGS5-C95
^ Murthi, R.S. (1990年1月8日). “Apollonia keeps the fires going”. New Straits Times. https://news.google.com/newspapers?id=mLsTAAAAIBAJ&sjid=iZADAAAAIBAJ&dq=sex%20shooter%20apollonia%206&pg=5539%2C1908407 
^ a b “Apollonia Kotero List of Movies and TV Shows”. TV Guide. 2019年1月31日閲覧。
^ White (2001年5月28日). “Out of the Rain”. People. 2017年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月5日閲覧。
^ Draper, Jason (2011). Prince: Chaos, Disorder, and Revolution. Backbeat Books. https://books.google.com/books?id=TLPo6OeYPREC&pg=PT88&lpg=PT88&dq=apollonia+solo+album&source=bl&ots=q4N-L298oB&sig=fwj0ukSJLtYhsga6nnTpOuRFC6k&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiCm7K5nP3KAhUT4WMKHUdTD0Y4ChDoAQgbMAA#v=onepage&q=apollonia%20solo%20album&f=false 
^ Heim (1989年3月17日). “Madonna`s `Like A Prayer` Gets Around To Release As Lp”. Chicago Tribune. 2019年4月16日閲覧。
^ “Ministry of Vengeance (1989) Directed by Peter Maris”. LETTERBOXD. 2018年11月1日閲覧。


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