アベル・バルボ
アルゼンチン代表でのバルボ (1994年)
名前
本名アベル・エドゥアルド・バルボ
Abel Eduardo Balbo
愛称El Killer[1]
ラテン文字Abel BALBO
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア
生年月日 (1966-06-01) 1966年6月1日(58歳)
出身地エンパルメ・ビジャ・コンスティトゥシオン
アベル・エドゥアルド・バルボ(Abel Eduardo Balbo, 1966年6月1日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州エンパルメ・ビジャ・コンスティトゥシオン出身の元同国代表のサッカー選手、指導者、解説者である。 6歳から14歳にかけては、叔父が監督を務めるチームで、得点力のあるMFとしてプレーしていた[1]。ここでの活躍に目を付けたインデペンディエンテのトライアウトを受けることになったが、姉の知り合いがニューウェルズ・オールドボーイズの副会長であったことから、先にニューウェルズのトライアウトを受けることとなった[1]。トライアウトに合格して入団、20歳の頃にFWとしてプレーするようになった[1]。1987-88シーズンにトップチームに合流、23試合で9得点を決めた[1]。この活躍でエラス・ヴェローナと契約したが、バニョーリ監督がチームに置くことを望まず、レンタルでリーベル・プレートへ移籍した[1]。リーベルでの活躍により、アルゼンチン代表にも召集されるようになった[1]。 1989年のコパ・アメリカにおいて、ウディネーゼ・カルチョはネストル・センシーニのプレーに注目してスカウトを派遣していたが、バルボのプレーが目に留まり、ウディネーゼがヴェローナから所有権を買い取った[1]。当初は苦しんでいたが、最終的にPK無しで、28試合で11得点を挙げたが、チームはセリエBへの降格が決まった[1]。翌年はセリエBでは22ゴールを挙げ、セリエB得点王を獲得している[1]。1992-93シーズンには、ジュゼッペ・シニョーリに次いで得点ランク2位となる、22ゴールを挙げた[1]。 1993-94シーズン開幕前には、インテルへの移籍が破談となり、ASローマへ加入した[1]。リーグ2節ユヴェントス戦で移籍後初得点を挙げた[1][2]。
略歴