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出典検索?: "アプリリア" 会社
アプリリア
種類子会社
業種オートバイ
設立1945年
本社ヴェネツィア県ノアーレ、イタリア
主要人物ロッコ・サベッリ, CEO
製品オートバイ、スクーター
親会社ピアッジオ
ウェブサイト ⇒aprilia.com
Aprilia RSV4
アプリリア(Aprilia S.p.A. )は、イタリアのオートバイメーカー。 第二次世界大戦直後の1945年にバリエ・アルベルト・ベッジオにより創業[1]。自転車生産を開始し成功を収めた[2]。1968年にアルベルトの息子のイバノ・ベッジオが経営を引き継ぐ[2][1]。 イバノは12人の従業員とともにオートバイを初めて製造。青と金に塗られた50ccのオートバイで、ヒットを飛ばした[2]。1970年に発売したスクランブラー型スカラベオはモトクロスでも用いられ、アプリリアで最も有名な商品となった[2]。イバノは小型バイクとスクーターに注力して会社を成長させていった[1]。 1974年に本格的なモトクロッサーを製作[2]。モトクロス世界選手権シリーズにミラノ出身のイヴァン・アルボルゲッティと全日本モトクロスチャンピオンの鈴木都良夫
沿革
1980年代初頭は欧州二輪市場の冬の時代であったが、既存のモペッド、モトクロッサーという車種、会社のイメージにこだわることなくエンデューロ、トライアル、オンロードモデルへとラインナップを広げた[2]。
しかし設立当時のアプリリアの特徴であったオフロードバイクの市場は1980年代に縮小し始め、モトクロッサーは公道仕様もしくはエンデューロ仕様に二極化していった[2]。1985年がモトクロス世界選手権へのファクトリー参戦最後の年となった[2]。1992年ロードレース世界選手権250ccクラスに参戦するロリス・レジアーニ
モトクロスと入れ替わるように、ロードレース世界選手権(WGP、現MotoGP)のGP250クラスに参戦を開始。日本メーカーが支配する中、初年度は6位という、初参戦の小規模イタリアブランドとして十分な結果を残した[2][1]。2年後の1987年ミサノでは初優勝を飾った[2][1]。1991年に新型RS250Vを投入してから飛躍を遂げ、1992年のアレッサンドロ・グラミーニを皮切りにマックス・ビアッジ、バレンティーノ・ロッシ、坂田和人らの活躍により125cc/250ccクラスで多数のタイトルを獲得した。1994?2003年の10年間で、250ccクラスのライダースタイトルの7つをアプリリアが占めた。
また1990年代に入ると都市型コミューター(スクーター)のような実用的なバイクの生産にも参入した[2]。この時スカラベオはスクーターとして復活し、現在に至っている。
2000年にスーパーバイク世界選手権(WSBK)にも参戦し、初年度に5勝を挙げた[1]。しかしMotoGPに注力するため2002年限りで撤退した。
アプリリアは2000年にモト・グッツィ、2004年にラベルダなどを買収するが、この買収が結果的に負担となってしまったことや、折からの欧州二輪市場危機により財政難に陥り、2004年8月同業のピアッジオ傘下に入った[2]。
MotoGPでは990cc3気筒エンジンを携えて参戦。運営とは2002?2006年に参戦する契約を交わしていたが、親会社となったピアッジオの意向でこれを反故にして2004年で撤退し、違約金も払わなかったとされる[4]。なおピアッジオ側は名目上は「経済的でなく、競争力にも欠け、宣伝効果もない」ということを理由に挙げていた[5]。
2004年にオフロードバイクの分野に再参入し、すぐにスーパーモタード世界選手権のS2クラスでタイトルを獲得した。これはアプリリア史上初となる4ストロークエンジン車での世界タイトルであった[2]。
2005年4月13日にはBMWとの業務提携が締結された[6]。
2006、2007年にホルヘ・ロレンソが250ccクラスを連覇。2009年を最後に同クラスから撤退した。
2011年ニコラス・テロルによる125ccクラス制覇(ライダース・コンストラクターズ)が、2022年時点での最後のアプリリアのロードレース世界選手権タイトルとなっている。同年限りで125ccクラスからも撤退した。2010年ダカール・ラリーに参戦するフランシスコ・ロペス・コンタルド
2010?2012年の3年間のみラリーレイド(クロスカントリーラリー)にも参戦。チリ人のフランシスコ・ロペス・コンタルド(チャレコ・ロペス)の活躍により複数のステージ勝利を獲得し、2010年にはKTM勢に次ぐ総合3位、翌年は4位を獲得した。その後アプリリアは「バック・トゥ・アフリカ」を掲げてトゥアレグ660を開発し、2024年にダカールやW2RC(世界ラリーレイド選手権)を除くトップラリーレイドへ復帰する方針を明らかにしている[7]。2010年スーパーバイク世界選手権に参戦するマックス・ビアッジ
2009年にスーパーバイク世界選手権に復帰し、2010年にマックス・ビアッジにより初のライダース・マニュファクチャラーズの二冠を獲得[1]。