アブドルファッターフ・アッ=シーシー
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2023年撮影
エジプト・アラブ共和国
第4代 大統領
任期2014年6月8日 –
エジプト・アラブ共和国
第一副首相
任期2013年7月16日 – 2014年3月26日
元首アドリー・マンスール暫定大統領
エジプト・アラブ共和国
国軍総司令官
任期2012年8月12日 – 2014年3月26日
出生 (1954-11-19) 1954年11月19日(69歳)
エジプト、カイロ
政党無所属
アブドルファッターフ・サイード・フセイン・ハリール・アッ=シーシー( ??? ?????? ???? ???? ???? ??????、Abdel Fattah Saeed Hussein Khalil El-Sisi、1954年11月19日 - )は、エジプトの軍人(陸軍元帥)、政治家。日本語メディアではシシ、シーシ、スィースィーあるいはアッシーシとも表記される。
エジプト軍軍事情報庁長官、エジプト軍最高評議会議長、国防大臣、エジプト国軍総司令官、第一副首相などを歴任し共和政エジプト第6代大統領(エジプト・アラブ共和国第4代大統領)に就任した。2019年度アフリカ連合議長。 1954年カイロ旧市街のガマレイヤ地区に生まれる。子どもの頃からもの静かで信仰に篤く、愛国心の強い少年だったという[1]。
軍人時代
アラブの春・2011年エジプト革命によってムバーラクが大統領の座から引きずり降ろされた。後任には、ムスリム同胞団系自由と公正党出身のムハンマド・ムルシーが大統領に選出された。しかし、ムルシー政権の内政外政におけるさまざまな失政を受けて反政府デモが展開され[5][6]、国防相・エジプト軍最高評議会議長のムハンマド・フセイン・タンターウィが解任される。2012年8月12日、ムルシーは後任の国防相・エジプト軍最高評議会議長にシーシーを抜擢し、シーシーは少将から大将に昇進した[7]。しかし、民衆の不満はさらに高まり、シーシーはムルシーに対し「もはや、あなたは大統領でない」と突き上げたが、ムルシーは「おまえを解任してやる」と反発、軍と政権との対立は深刻化する[8]。
クーデター詳細は「2013年エジプトクーデター」を参照
2013年7月3日、シーシーは自らを抜擢したムルシーを政権から排除すると発表し、暫定大統領として最高憲法裁判所長官アドリー・マンスールを指名するなど、2013年エジプトクーデターにおいて中心的な役割を演じた[9]。7月16日に成立したベブラーウィー内閣では、第一副首相を兼任[10]。
このクーデターはエジプト国民の多くに支持され、特にシーシーは多くの熱狂的な支持者を獲得した[11]。 2014年1月27日、シーシーは元帥に昇格し[注 1]、軍評議会から大統領選への出馬の承認を得た[12]。2月、外務・防衛閣僚協議(2プラス2)のため、ナビル・ファハミ
2014年大統領選挙
2014年6月3日、エジプトの選挙委員会は5月26?28日の大統領選においてシーシー前国防相が、得票率96.91%で当選したと正式に発表した[16][注 2]。6月8日に正式に就任した[19]。 現職のイブラヒーム・メフレブ首相に組閣を要請、閣僚の大部分が留任した[20]。 2014年、フィナンシャル・タイムズから習近平、ウラジーミル・プーチン、レジェップ・タイイップ・エルドアン、ナレンドラ・モディ、安倍晋三(およびベンヤミン・ネタニヤフ)ら各国首脳と並び、「地政学的な環境を形成しているタフガイ指導者」、2014年に世界を闊歩した「剛腕政治家」の一人に選ばれた[21]。
大統領