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アフリカ大陸
本項ではアフリカ史、すなわちアフリカ大陸の歴史について解説する。
目次
1 前提
2 先史時代
2.1 人類の誕生
2.2 農耕文化の伝播
3 古王国と交易による都市繁栄の時代
3.1 北・東アフリカ史
3.1.1 地中海・サハラ
3.1.2 ナイル川水界
3.1.3 エチオピア高原、アフリカの角地域
3.2 西アフリカ史
3.2.1 ニジェール川水界
3.2.2 コンゴ川水界
3.3 南東アフリカ史[注釈 18]
3.3.1 ザンベジ・リンポポ川水界
4 奴隷貿易時代
5 近代史
5.1 植民地化のはじまり
5.2 アフリカの分割
5.3 独立運動
6 現代史
7 脚注
7.1 注釈
7.2 参照
8 関連項目
9 参考文献
前提 1812年のアフリカ大陸
アフリカは人類誕生の地とも呼ばれるほど、古く長い歴史を持っている地であるが、それを通史として俯瞰できるよう並べた場合、虫食いのような不完全な歴史となってしまう。これはアフリカ史に関する研究対象や蓄積された史料が、地理的にも時代的にも極めて偏っているためである[注釈 1]。
アフリカの大部分の社会では文字が用いられておらず、文字記録に頼った歴史の研究が行われにくいという事情がある。また、その厳しい環境や政治的、経済的な理由から考古学的な調査が遅れており、樹木や草などの植物を材料に建てられた建物が集まった集落や都市などが多く、それもさかんに移転が行われるなどの事情があって遺構や遺物が残りにくく、たとえ文字記録があっても検証ができない場合[1]がほとんどである。さらに、民族の移動が激しく口頭伝承によって伝えられる土地や遺物の散逸も著しく、口頭伝承そのものを裏打ちする史料も存在しないため、過去の記録が正確に伝えられてきておらず、歴史をさかのぼることを困難にさせている。
これらの状況下においてアフリカの歴史を語るいくつかの書籍は存在するが、研究者によって歴史の時代区分からして大きな差異が生まれており、一見すると統一性がない状態に置かれている。従来歴史研究の基礎と考えられてきた編年すら困難であることは、アフリカが「暗黒の大陸」や「歴史なき大陸」などと呼称される原因となっている[注釈 2]。
イギリスの歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーは、アフリカの歴史に関して、次のように語っている。「歴史というものは本質的にある目的に向かって進む運動である。おそらく将来、アフリカにも何らかの歴史が出現するだろう。しかしながら今日、アフリカに歴史はない。強いてあげるならばアフリカにはヨーロッパ人の歴史のみが存在しているのである」(講談社現代新書『新書アフリカ史』p13より引用)
やがて、ケニアの歴史家オゴトが「自分自身の手で歴史が書き上げられて初めて政治的独立がなされる」と指摘している通り、アフリカ各国の独立・国の建設という事業を進めるにあたり、国家として「歴史」が必要になってきた。これに伴い1960年代以降、西欧の決め付けによる「歴史無き大陸」のイメージを払拭するため、アフリカの歴史家たちによって黒人奴隷社会以前の歴史研究が積極的に行われるようになっている[注釈 3]。
先史時代 ルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)
1992年12月、アメリカ、日本、エチオピアの合同チームがエチオピアのアラミス地帯においてそれまで最古の猿人として知られていたルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)よりも明らかに原始的な約440万年前の猿人の化石を発見した。現地の言葉で「ルーツ」を意味するラミダス猿人と命名されたこの猿人は人類の祖先として最古級のものと位置付けられ、研究・調査が進められている[2]。さらに2000年10月にはミレニアム・アンセスター
と命名された約600万年前のものとされる猿人の化石がケニアのバリンゴで発見されており、「最古の猿人」は研究・調査が進み、時代を経るごとに遡っている現状がある[3]。約400万年前から100万年前にかけて、人類は急速な進化を遂げ、東アフリカおよび南アフリカのサバンナ生態系においていくつかの種類のアウストラロピテクスの化石が発見されている。1995年にケニアのトゥルカナ湖で発見されたアウストラロピテクス・アナメンシスは約420万年前から390万年前に生息していたとされ、ラミダス猿人とアウストラロピテクス・アファレンシスの中間点とされている。最近まで最古の猿人とされていたアウストラロピテクス・アファレンシスは約370万年前から300万年前の地層でエチオピア、ケニア、タンザニアなど各地から出土されており、この種あるいは類似した種が広く分布していた事が見て取れる[4]。
その後、約300万年前には地球の寒冷化が急速に進行し、その影響でアフリカ大陸が乾燥地帯へと変貌していった。この影響で猿人の分化が発生し、咀嚼(そしゃく)力がより強化されたロブスト型猿人[5]と呼ばれる種と、我々人類の直接の祖先となるホモ属[注釈 4]と呼ばれる種が誕生した。世界最古の石器がエチオピアで出土したのもこの時代である。ホモ属が使用したとされるオルドワン型の石器は動物の骨を砕いたり、切断したりといった用途に使われ、動物資源の入手に大きな威力を発揮した。 初期の石器
約150万年前になるとホモ属はさらに進化を遂げ、原人[注釈 5]と呼ばれるようになる。1984年に原人の全身骨格がケニアで出土したのを期にこの時期の人類史の研究が大きく前進した。体格や身長、男女差などはこの時代の原人と我々現代人に大きな差異はないとされている。また、石器の利用もさらに進化しアシュール型[注釈 6]と呼ばれる定型化した石器が誕生した。約100万年前には人為的な火の利用を思わせる遺跡も東アフリカおよび南アフリカから出土している。道具の利用、火の利用と部分的にではあるが自然環境と闘う手段を手に入れた原人はやがてアフリカを離れ、ユーラシア大陸へと拡散し、その生息範囲を広げていった[注釈 7]。